バルガス=リョサ「若い小説家に宛てた手紙」

書店で見つけた本ですが、タイトルに惹かれたので購入。とてもよかったです。
著者は1936年生まれのペルー人小説家、マリオ・バルガス=リョサ。(Wikipedia
今年ノーベル文学賞を受賞されたので本屋さんでもプッシュしていたんですね、感謝。

この本「若い小説家に宛てた手紙」はタイトル通り手紙の形式、相手は出て来ませんが手紙のやりとり形式をとっています。なので語り口は優しく親しみが持てるのですが、語られていることの本質はとてもとても研ぎ澄まされており、非常にソリッドでストイックです。
この本を読んで私が一番印象に残ったのは以下の2点。

・あぁ、自分はやっぱり「小説家」なんだ。
・この感覚は自分一人が味わってきたわけではないんだ。

こうして文面にしてしまうと月並みな感想ですが、これは本当に深く心に沁みてきました。一人じゃないんだ、と。
いくつか印象に残った言葉を。

 天職というのは今もうまく説明のつかないものなのでしょう。そういう人たちは、自分たちは天職を全うすべく召命されている、あるいはそうするように義務づけられていると感じています。というのも、たとえば物語[ストーリー]を書くことで天職である仕事をする、そうすることによって自らを顧みて恥ずかしくない形で自己実現することができるはずだと直感的に感じ取っているからなのです。さもないと、自分は意味もなくただ生きているだけだという惨めな思いに駆られるのです。(中略)

 私の考えが間違いでなければ(といっても、私の場合は正しく言い当てるよりも間違える可能性のほうが高いのですが)、ある女性なり男性は早い時期、つまり幼年期か思春期のはじめに、さまざまな人物や状況、エピソード、自分が生きているのとは違う世界を空想する性癖をもつようになり、この性癖がやがて文学的天職と呼ばれるものの出発点になります。もちろん、空想の翼に身を任せて現実の世界、実生活から遊離していく気質と文学を実践することとの間には深い溝があり、たいていの人はそれを乗り越えることができません。その溝を越えて、書き言葉を通して世界を創造する人たち、すなわち作家というのは上に述べたような性癖、もしくは傾向に加えて、サルトルが<選択>と呼んだ意志の運動を付け加えることのできた少数者のことなのです。彼らは人生のある瞬間に作家になろうと決意した、つまりそうなることを選び取ったのです。(中略)

 文学を志す人は、宗教に身を捧げる人のように、自分の時間、エネルギー、努力のすべてを文学に捧げなければなりません。そういう人だけが本当の意味で作家になり、自分を越えるような作品を書くのことのできる条件を手にするのです。われわれが才能とか天分と呼んでいるもうひとつの神秘は、若くして華々しい形で生まれてはきません  少なくとも小説の場合はそうです。

第一章 サナダムシの寓話

この本では小説を構成する要素についても触れられています。文体、空間、時間、転移、入れ子箱的世界…。数多くの小説作品を引き合いに出して、それらの要素がどのように作品の中で働いているのかを紐解きます。(しかしそれがこの手紙の目的ではありませんのでなぞる程度です。)
でもだいたいの場合、小説家は無意識にそういうのを作品に取り込むんじゃないですかね。僕はそういうテクニックを持ち込もうなどとは考えたことがありません。自然になるべき形でたまたま(そして必然的に)「そうなった」という感じです。でも新しい技術を取り込んで磨き上げ自分のものにしていくことは必要でしょうね。

そういう「技術的な」話も盛り込まれていますが、この本は決して「小説の書き方指南」ではありません。
著者の思いは次の一文に集約されるでしょう。

 成功したフィクション、あるいは詩の中には、理性的な批評的分析ではどうしても捉えることのできない要素、もしくは広がりがあります。なぜなら批評というのは、理性と知性を用いて行うものであるのに対して、文学的創造にはそうした要因以外に、直感、感受性、洞察力、それに偶然までもが決定的な形で作用しており、そうしたものはつねに批評的研究のこの上もなく細かな網目から逃れて行くものだからです。ですから、他人に創作法を教えることなどできません。できるのはせいぜい文章の書き方や本の読み方を教えることくらいものもです。
 親愛なる友よ、私が小説の形式に関してこれまで手紙に書いてきたことはきれいさっぱり忘れて、まずは思い切って小説を書きはじめてください、そう申し上げて筆を置きます。
  幸運を祈ります     リマ、一九九七年五月十日

第十二章 追伸風に

バルガス=リョサ著(木村榮一訳):若い小説家に宛てた手紙
バルガス=リョサ著(木村榮一訳):若い小説家に宛てた手紙
ISBN: 978-4-10-514506-4
e-hon
bk1
HMV

DIME 16/17合併号付録にけいおん!!クリアファイル

DIME 16/17合併号と付録のけいおん!!クリアファイル
“Trend Magazine for Business Person”を謳う月2回発行誌、「DIME」の合併号。特集がアニメで、付録に「けいおん!!」のオリジナルクリアファイル。けいおん!!部員としては全力で買わざるをえません!(そういえば「けいおん!」をブログで取り上げてなかったですね。)

DIME、初めて手に取りましたが、印象としてはカジュアルな「Pen」という感じ。似ていると感じた点としてトレンド、製品、各方面新作、などなどまんべんなく取り上げて一冊を作っていて読んでて楽しいです。アプローチの仕方はPenほど固くなかったです。
特集のアニメに関しては、昨今のアニメ事情を昔にさかのぼって概略していたのでなかなか分かりやすい。アニメのビジネスモデルの変化はやはり興味深いですね。これからどうなるんだろう?
あとアニメファンとしては制作現場、特にアニメーターの現状については噂レベルでしか聞かないので、そこはもうちょっと知りたいところです。やっぱり作ってる人たちが潤わないと。続かないですよね。

アニメに興味ある方はぜひ。ちなみに表紙の唯(ゆい)が持っているカメラは副特集で扱っているデジカメ、PentaxのK-xですね。
クリアファイルがもったいなくて使えねぇ!という方は2冊どうぞ!

2つで十分ですよ
ほえ? なんか言った?(唯っぽく)

「2つで十分ですよ」
いや、3つだ。
「分かってくださいよー」Google

【追記】
描き下ろしクリアファイル付き!けいおんが表紙のDIME発売 – ASCII.jp

> けいおんと聞いて反応した秋葉原の各店では、この雑誌を全力で入荷しており
> けいおんと聞いて反応した秋葉原の各店では、この雑誌を全力で入荷しており
> けいおんと聞いて反応した秋葉原の各店では、この雑誌を全力で入荷しており
おまいら…

  • Posted at 22:35 on Aug 12, 2010
  • | (Closed)

幸福、自由、美徳。その重なりに生まれる「正義」のかたち

マイケル・サンデル著、「これからの『正義』の話をしよう」。
ずいぶん話題になっているようですね。NHK で「ハーバード白熱教室[nhk.or.jp]」という番組があり、そこから人気が出ているようです。私は番組を観たこともなく、この授業のことも知らなかったのですが、この本を発売前に知り興味がわいたので予約して読みました。きっかけは Twitter での早川書房[hayakawa-online.co.jp] さんのツイート[twitter.com]。
「面白い意見だ、君の名前は?」というのがサンデル教授の台詞のようで、これにとても惹かれた次第。

これが読んでみるとおもしろい!
難しい主題であるにも関わらず分かりやすい上に、非常に考え甲斐のある中身の濃い本でした。一度目は「あぁなるほど!」という発見的なおもしろさでしたが、二度目に読んだときは「ううむ、なるほど…」という感じです。
この本では分かりやすい身近な例から「正義」とは何か、その正義はなにを拠り所としたものか、その拠り所が行き渡ったとき生じうるメリットとデメリットは何か、そんなことを推察していきます。この推察の旅、サンデル教授曰く、「『正義』を探求する旅」がとてもおもしろい。

ところで「『正義』とはなにか?」という問いに向き合うと賢明な人は自然とこう答えることでしょう。
「『正義』とは結局のところ人それぞれではないか。もし『正義』を定義してしまうならば、それは価値観の押しつけにつながり、独善的なものになるのではないか」と。
まったくその通りです。しかし、この本がすごいなと思ったのはそんなことは当たり前の常識として、さらにその先を考えていることです。「正義」とは何か。それを考えるのは確かに新時代を考えることでもあるな、と思いました。

冒頭に出てくるひとつの例を引用します。僕が解釈した上でまとめたものですので読み違いがあるかもしれません。

 二〇〇四年夏、メキシコ湾で発生したハリケーン・チャーリーは、猛烈な勢いを保ったままフロリダを横切って大西洋へ抜けた。二二人の命が奪われ、一一〇億ドルの被害が生じた。チャーリーは通過したあとに便乗値上げをめぐる論争まで残していった。
 オーランドのあるガソリンスタンドでは、一袋二ドルの氷が一〇ドルで売られていた。八月の半ばだというのに電気が止まって冷蔵庫やエアコンが使えなかったため、多くの人びとは言い値で買うより仕方がなかった。木々が吹き倒れたせいで、チェーンソーや屋根修理の需要が増加した。家の屋根から二本の木を取り除くだけで、業者はなんと二万三〇〇〇ドルを要求した。小型の家庭用発電機を通常は二五〇ドルで売っている店が、ここぞとばかりに二〇〇〇ドルの値札をつけていた。老齢の夫と障害を持つ娘を連れて避難した七七歳の婦人は、いつもなら一晩四〇ドルのモーテルで一六〇ドルを請求された。

第1章 正しいことをする Page.9

ここには便乗値上げをめぐる「正義」の論争が隠れています。
この本を通してサンデル教授は、「『正義』に関わる問題は三つの理念を中心に展開されることになる」と指摘します。その3つの理念というのは、「幸福」「自由」「美徳」です。

 便乗値上げをめぐる論争を詳しく見てみれば、便乗値上げ禁止法への賛成論と反対論が三つの理念を中心に展開されていることがわかるだろう。つまり、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の促進である。これらの三つの理念はそれぞれ、正義に関して異なる考え方を提示している。

第1章 正しいことをする Page.13

便乗値上げ禁止法に反対する人びと、つまり便乗値上げは不正義ではないとする人びとの主張は、これら3つの理念のうち幸福が最大化されること、そして市場の自由を尊重するべきであるという論拠にあります。
便乗値上げにより供給能力が刺激されれば、ほどなくして供給量は増えていくことが予測できます。そのインセンティヴ(動機づけ)を便乗値上げは生産者や提供者に与えると。便乗値上げにより一部の人は購入できないかもしれない。しかしその不幸を上回る歓迎すべき効果があると。社会全体の満足の総和のためにはいくらかの個人の犠牲は致し方ない、というのが最大幸福原理、功利主義の考え方です(これについては第2章で掘り下げます)。
また何よりも市場の自然原理、つまり価値の高いものは値段が高くなる、その価格は政府ではなく各人が決めるべきだ、その自由を尊重するべきだという論拠をも持ち出すでしょう。元来、価格は需要と供給によって決まるものであり、「公正な価格」といったものは存在しないというわけです。この理念についてはリバタリアニズム、自由至上主義として第3章で取り上げられています。

一方、便乗値上げ禁止法に賛成する人びとはこれら2つの理念について別の見方をとります。

 第一に、困っているときに請求される法外な値段が社会全体の幸福に資することはないと、彼らは主張する。高い価格のおかげで商品の供給が増えるというメリットがあるとしても、その価格では買えない人びとへの負担も考慮に入れなければならない。裕福な人びとにとって、嵐のさなかに高騰したガソリン代やモーテル代を支払うことは腹立たしいかもしれない。だが、つましい暮らしを送る人びとはこうした価格によって真の苦難を強いられることになる。(中略)
 第二に、特定の状況下では、自由市場といっても本当に自由なわけではないと、彼らは主張する。クライストが指摘するように「切羽詰まった買い手に自由はない。安全な宿泊施設のような必要不可欠なものの購入に選択の余地はないのだ」。家族とともにハリケーンから避難している際、法外なガソリン代や宿泊費を支払うのは実際には自発的な取引ではない。それは強要に近い何かである。

第1章 正しいことをする Page.13-14

このようにサンデル教授は対立する2つの見方を概観した上で「さらにもう一つの論点について考えてみる必要がある」と提起します。この先の分析、真の論点の見極め、知識を交えた推察の道筋がとても心地がいい。思わず「…にゃるほどーー!」とうなってしまいます(笑)。

 多くの一般市民が便乗値上げ禁止法を支持するのは、幸福とか自由というより、もっと直感的な理由があるからだ。(中略)
 とはいえ、便乗値上げに対する憤りは感情に任せた愚かな怒りなどではない。それは、真剣な検討に値する道徳的議論を指し示しているのだ。(中略)この種の憤りは不正義に対する怒りなのだ。(中略)
 これは美徳をめぐる議論と呼んでいいだろう。

第1章 正しいことをする Page.14-15

一方でこの美徳という理念にも反論はあります。

 美徳をめぐる議論にとまどう人もいる。便乗値上げ禁止法を支持する人にもそういう人は多い。なぜなら、美徳をめぐる議論は幸福と自由に訴える議論よりも独善的に感じられるからだ。(中略)
 なにが美徳でなにが悪徳かを判断するのは誰なのだろうか。多元的な社会の市民はそうしたことに反対するのではないだろうか。美徳に関する判断を法律によって押しつけるのは危険ではないだろうか。これらの懸念に直面すると、美徳とか悪徳とかいった問題について政府は中立であるべきだと、多くの人びとは考える。

第1章 正しいことをする Page.15-16

サンデル教授はここに政治哲学の重要問題を示すジレンマが生まれる、と指摘します。
便乗値上げに関する議論に続き、パープルハート勲章(名誉負傷勲章)の受賞資格にまつわる議論、記憶に新しい金融危機に際して行われた企業救済にまつわる市民の怒りを例にとったあと、このように要約しています。

 われわれはそうした問題をすでに考えはじめている。便乗値上げの是非、パープルハート勲章の受賞資格をめぐる対立、企業救済などについて考えながら、価値あるものの分配にアプローチする三つの観点を明らかにしてきた。つまり、幸福、自由、美徳である。これらの理念はそれぞれ、正義について異なる考え方を示している。
 われわれの議論のいくつかには、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養といったことが何を意味するのかについて見解の相違が表れている。また別の議論には、これらの理念同士が衝突する場合にどうすべきかについて意見の対立が含まれている。政治哲学がこうした不一致をすっきりと解消することはありえない。だが、議論に具体的な形を与え、われわれが民主的市民として直面するさまざまな選択肢の道徳的意味をはっきりさせることはできる。

第1章 正しいことをする Page.29

今まで自分の見解を分析することなどは多くの人が無意識のうちにもしていることでしょう。しかし、ここまで詰めて「議論に具体的な形を与え、われわれが民主的市民として直面するさまざまな選択肢の道徳的意味をはっきりとさせ」たことはなかったのではないでしょうか?
サンデル教授の講義、受けてみたいですねえ。今からハーバード行くのもちょっと大変でしょうから手軽にこの本であなた自身の「正義」を探求されてみてはいかがでしょうか?

その旅の終わり、第10章「正義と共通善」の中、335ページからの道程は感動を伴うものです。「共通善」、それがサンデル教授の提出するひとつの視点です。今までにその視点はなかったですねぇ。どんなものなのかは読んでのお楽しみ、ということで。

最後に僕の考えを含めると、第5章のカントに関連する一連の「義務としての道徳」に非常に興味を覚えます。それがどんなものなのかはここでは触れませんが、実に興味深い。
僕は思うのですが、「税」というのはまさにカントの示す「義務的道徳」ではないでしょうか? そう考えると税としての労働力の提供も成り立つわけです。最終章には「犠牲」と「奉仕」についても触れられていますが、公共サーヴィスの運営と提供をそれで賄おうとするのは、将来の社会、市民生活を支えるひとつの形になり得るのではないかと。サンデル教授の提案のひとつであるように富裕層は「公民的生活基盤の再構築」に投資(逆から見れば課税)し、加えて貧しい人びとはその運営に携わる。そこに市民コミュニティはより生まれやすいと思うのです。教授、どうですか?

「面白い意見だ、君の名前は?」

マイケル・サンデル著:これからの「正義」の話をしよう
マイケル・サンデル著:これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学
ISBN: 978-4-15-209131-4
e-hon[e-hon.ne.jp]
bk1[bk1.jp]
HMV[hmv.co.jp]

  • Posted at 21:42 on Aug 02, 2010
  • | (Closed)

人生の言葉

人生の言葉
人生の言葉
ISBN: 978-4-284-80041-9
e-hon
bk1
HMV

本屋で見つけて少しパラパラとめくり、気に入ったので購入。1050円。
これが大変良かったです。編集も丁寧なので(余計なものが一切ない。「言葉」に集中できる。)おすすめです。
特に胸に残った言葉を紹介。

考えるままに生きるべきである。
さもないと、生きているままに考えることになる。

– ポール・ブールジェ(1852-1935, フランスの作家、批評家)

考えるがままに生きる、というのは無理のない生き方のはずなのに、なんだかとてつもなく難しいことのように思えます。

雨だれが石を穿(うが)つのは、激しく落ちるからではなく、何度も落ちるからだ。

– ルクレティウス(BC99?-BC55?, 古代ローマの詩人、哲学者)

冴えてる人だなあ、と思ったら紀元前の方ですか…。

悟りとは平気で死ぬことではない。
平気で生きていくことだ。

– 正岡子規(1867-1902, 明治の俳人、歌人)

深い。深すぎる。自分はまだ悟りには至っていないようです。

人生はクローズアップでみると悲劇だが、
ロングショットでみると喜劇だ。

– チャールズ・チャップリン(1889-1977, イギリスの映画俳優)

この人生も、世界の人生も、喜劇にみえるときがくるといい。

一夜にして成功を収めるためには20年かかる。

– エディー・カンター(1882-1964, アメリカのコメディアン、歌手)

にやり、としてしまいました。

人間は醜い、だが人生は美しい。

– ロートレック(1864-1901, フランスの画家)

おそらくは、「人生は美しい」に至るまでにものすごく長い道のりが必要だったのではないか、と思いました。

光は暗闇を追い払う。光を見て、その美しさについて考えよ。一度目を閉じ、再び見える光は最初のものとは違う。
前に見た光はすでにそこにはない。

– レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519, イタリアの画家、彫刻家、建築家)

僕が不思議なのは、こういう感覚が500年の時を経ても変わってない、ということです。失礼ですが「レオ、なんで知ってるの?」という。
一度直接話をしてみたかった。たぶん、なんの説明もいらずに、なんの例えもいらずに、話ができるだろうと思う。「僕思うんですけど、闇の真の姿って光ですよね」「そうそう、闇という光ね」みたいな。
…同時代のやつらがうらやましい。

不遇はナイフのようなものだ。
刃をつかめば手を切るが、柄をつかめば役に立つ。

– ハーマン・メルヴィル(1819-1891, アメリカの作家)

ううむ、素晴らしい。

古いものを喜んではならない。
また、新しいものに魅惑されてはならない。

– ブッダ(生没年不詳, 仏教の開祖)

テクノロジーの発達という進捗とその弊害に悩む現代にこの言葉は鋭く響きますね。「なるほど」と思わずつぶやいてしまいました。

腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで数えよ。それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。
それでもだめなら千まで数えよ。

– トーマス・ジェファーソン(1743-1826, アメリカの政治家)

問題は、「怒りがおさまるまで数えられるか」ではなく、「数えようと思ったときにはすでに何か言っていた(していた)」ということだと思うのです。そして、「そのときすでに」という無自覚の行動こそ、人間の弱みだと思うのです。僕はこれを完全に、完・全・に・統率したい。その意味で「人間を超えた存在」になりたいと常々思っています。これは真面目な話、自分の人生で超える「べき」壁の一つだと捉えています。これを超えることができなければ、僕が生きた意味の一つはなくなることになるし、人の親になる資格もありません。

人間はみな、自分の見たいものしか見ようとしない。

– カエサル(BC100?-BC44, 古代ローマの政治家、軍人)

今でもそうですよ、と伝えたらカエサルさんは「マジかよ…」と言うのでしょうか。「やっぱり…」と言うのでしょうか。そこに興味がありますが、僕はたぶん後者だと思います。そのあたりの本質は見抜いている人でしょうね。

壁が横に倒れると、それは橋になる。

– アンジェラ・デービス『アンジェラ・デービス自伝』(1944-, アメリカの政治家)

なるほど。高ければ高いほど、遠くへ行けると。

つまり、これが死というものである。
ところで……

– 死の間際の言葉、カーライル(1795-1881, イギリスの評論家、思想家)

すげえ…。続きを聞きたい…。

今日が人生最後の日だとしても、
今日する予定のことをしたいと思うか?
「毎朝自問自答している。ノーの日が続くなら
人生の軌道修正をしなければならない」

– スティーブ・ジョブズ(1955-, アメリカの実業家、アップルCEO)

スティーブかっこよすぎ。

最初の一歩を踏み出しなさい。
階段全体を見る必要はない。
ただ、最初の一段を上りなさい。

– マーティン・ルーサー・キングJr(1929-1968, アメリカの牧師、活動家)

嫌でも目に入ってくる「階段全体」を無視することこそが一番難しいのではないでしょうか。おそらくは一段を上ることよりも。

私たちの問題は人間が生み出したもの。
従って、人間により解決できるのです。
人間社会の中で起こる問題の中で、人間を超えているものはありません。

– ジョン・F・ケネディ(1917-1963, 米国第35代大統領)

なんだかんだ言ったところで、人間のせいですものね。もっと踏み込めば、「自分のせい」。

真の道は一本の綱の上に通じている。その綱は空中に張られているのではなく、地面のすぐ上に張られている。
それは渡って歩くよりは、つまずかせるためのものであるようだ。

– フランツ・カフカ『罪・苦悩・希望・真実についての考察』(1883-1924, チェコの作家)

具体的に考えてみると、にやりとしてしまう味わい深い言葉です。

誰にも見られていないように踊れ。誰にも聞かれていないように歌え。恋をするときは、今まで傷ついたことなどないかのように振舞え。
そして、この世が天国であるかのように生きよ。

– マーク・トゥエイン(1835-1910, アメリカの作家)

何のために? おそらくは自由を得るために。

マイナスをプラスに、不幸を幸せに、涙を笑顔に。まかせておいてください。

– 坂本九(1941-1985, 昭和の歌手)

九さんになら「まかせた!」と言えるところですが、それとは別に「まかせる」ということについてそれはいいものかどうかふと考えてしまいます。自分の歴史上、「まかせた」と心から言ったことはないような気がする。下手したら口にしたことすらないかも…。九さん自身はどうだったんでしょうね。まかせられる人いたのかな。

生きるために食べろ、食べるために生きるな。

– ベンジャミン・フランクリン『プア・リチャードの暦』(1706-1790, アメリカの政治家、科学者)

この本で一番胸に突き刺さった言葉。
自分には「生きるために食べろ」の一言が大きかったです。「生きるために食べろ」ってあなた、「生きろ」っていうのは前提ですか!?みたいな…。生きるのは前提ですか。そうですか…。ちょっと衝撃的でした。
ところで今の時代、「生きるために」食べている人ってどのくらいいるんだろう。予想よりはずっと多いのかもしれない。

MY AMERICA

MY AMERICA
TIME誌と契約している報道写真家、Christopher Morris。
最近の彼の写真。
Campaign Reflections
Obama’s Nation of Hope
こちらから彼の写真をたくさん見れます。
彼はホワイトハウス担当カメラマンです。彼の特集番組が先日NHKで放送されました。

ラストカット ~ファインダーが見たブッシュ大統領の8年~ – BS世界のドキュメンタリー : NHK
今度の21日に再放送するとのことです。一時間番組なのでおすすめ!

ブッシュ前大統領を撮り続けていた彼の言葉で印象的だったのは、「ブッシュは8年間、なにも変わらなかった。変わったのはアメリカ国民のほうだった」と。「最初、正直ブッシュ大統領は個人的に嫌いだった。でもアメリカ国民がブッシュ離れを始めた時期に、僕は逆に好感さえ抱くようになっていた」と。

それが実際に分かるのは、紛れもなく彼の写真。心ここにあらずといった表情でブッシュ大統領を見つめる国民。「必要な権力はみな手に入れた」という言葉にあるように、人々の目はスーパーマンを見つめるそれのようです。

一人一人の「MY AMERICA」。アメリカという国で生まれ育った人が、星条旗にかける想い。それを部外者の自分が見るに、アメリカに国教が存在するならば、それはアメリカ自身なんだと思いました。

Christopher Morris 'MY AMERICA'
Amazon.co.jp – Christopher Morris “MY AMERICA”

Amazon.co.jpで4,045円で買いましたが、取り寄せ中に念のため有隣堂で聞いたら在庫はなく輸入になり、価格も7,000円を超えるとのこと。Amazonでの価格も調べてくれてそちらのほうが安いですと教えてくれたのには驚きました。有隣堂すげえ。

  • Posted at 08:32 on Mar 17, 2009
  • | (Closed)