Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/site-ichijo/www/si.1dhcuttqmvpl3ic/wp-includes/post-template.php on line 284

均衡を取ろうとする自分と、それを眺めてしまう自分

高校の恩師、佐野先生のブログで語られた「デリケート・バランス」。
まさに… そこなんですよね、自分の位置も。

紹介します。

デリケート・バランス(上)
デリケート・バランス(中)
デリケート・バランス(下)

「生きること」と「食べていくこと」。

先生の言葉が強烈に響いたので引用させていただきます。

(芸術家にとって)「生きること」と「創ること」は一致しているのであって、そこに「食べること」への意識が介入する余地は無い。私の「AとBとのバランス」など、芸術家にとっては「生ぬるい戯言」だと思い知らされた。(中略)
あれから40年…私は今なお「デリケート・バランス」に生きている。忸怩たる思いもあるが、これもまた「自分の人生」だと思えないこともない。しかし、残された人生の時間を全て演劇創造に充てることで、あの21歳だった自分、打ちのめされていた自分に応えて上げたい気持ちもある。

正直、自分は打ちのめされ続けている気がする…。
手を抜いてるわけじゃない、全力で対峙しているつもりだけど、まだまだなのかな。まだまだなんだろうな。ゆっくり考えたい、時間がほしい、と思うのは甘えなのかなぁ。
先生の

「流されそうな川の真ん中に杭を打ち込み、それに一時しがみつきたい」が本音だった。立ち止まる時間が欲しかったのである。

という言葉、痛いほどよく分かります。

これはしばらくまたこもって考えます。
この前「考える前に飛べ」と書いたけれど、やっぱり考えてしまう。我ながらもどかしいというか苛立つというか。

  • Posted at 16:43 on Aug 13, 2006
  • | 2 Comments

2 Responses

  • 現在、この投稿へのコメント/トラックバックは受け付けていません。

  • HAL says:

    ichijoさん、よい先生をお持ちですね。
    なかなかに心のひだを語ったりしてくれる先生はいないものです。
    小学5年生のとき、「痛いときに痛いと言える人間になろう。」と
    真摯に話してくれた先生がいました。
    高校生のとき、どんな落ちこぼれもすくってくれる先生がいました。
    先生が先生らしい時代に生きていたことで
    不肖HALも何とか真っ当に人生を歩めたかと思います。

    しかし、このバランスは難しいですね。
    一見穏やかそうに見えるらしい私は(笑)、実は人の好き嫌いが
    はっきりしてて実害を及ぼす輩とは一緒に仕事ができません。
    人とは怖い生き物だな?とつくづく思うのです。
    色んなことを我慢して食うために仕事をしていれば、
    私ももうちょっとはお金持ちになってたかな?(笑)

    美輪明宏さんの言葉にお給料は我慢料というのがあります。
    なるほど?と唸った私でありました。
    人生の中のあれやこれやの経験や自分が出会う様々な修行は
    何やらすべて訣あってのことのようで、
    何度も何度も立ち止まり、行き越し道を振り返り、
    さて、私はどこに行きたいのか?とためいきついたり。(^^

  • nori says:

    HALさんありがとうございます。

    そうですね、難しいバランスですよね。
    働くというのは人間関係によるところが大きいですしね。
    「我慢料」というのも言いえて妙、ですね。(笑)

    我慢もある程度は必要、我慢しすぎは無用、これもバランスですね。
    人生は“しゃっこんしゃっこん”とシーソーに乗ってるようなものなのかもしれません。
    楽しんで乗れれば苦労はないのですが。。。(^^;

    でもやっぱりバランスなんてほっぽりだしたい気持ちもあります。(笑)