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国民書

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Amazon.co.jpの商品ページへ 河合隼雄 「こころの処方箋」

河合隼雄さん。
村上春樹さんとの対談集にて知った河合さんですが、先日お亡くなりになりました。
そのニュースを聞いて、一度彼の本を読んでみようと、本書を手に。

読んで思ったのは、本当に惜しい人を亡くしたんだなぁ、と。
この本、「こころの処方箋」は日本の国民書に認定。そして小学校での必須読本にすべき。(小学校の先生だったら自腹ででも一人ひとりに一冊あげる。)

人はこの社会で生きていくわけですが、絵空事ではない、実際に使えるヒントがあります。
いくつかタイトルをピックアップ。

・人の心などわかるはずがない
・100%正しい忠告はまず役に立たない
・灯台に近づきすぎると難破する
・己を殺して他人を殺す
・100点以外はダメなときがある
・マジメも休み休み言え
・一番生じやすのは一八〇度の変化である
・自立は依存によって裏づけられている
・善は微に入り細にわたって行わねばならない
・「耐える」だけが精神力ではない
・灯を消す方がよく見えることがある
・生まれ変わるためには死なねばならない
・道草によってこそ「道」の味がわかる
・二つの目で見ると奥行きがわかる
・すべての人が創造性を持っている

あとがきにて河合さんはこのように述べておられます。

端的に言えば、ここには「常識」が書いてあるのだ。
皆の既に知っている「常識」を売物にしていいのだろうか。それについては、私は次のように考えている。
まず、現在は「常識」が、あまりに知られていない時代なのではないか。
だから、とうとう常識までも本にして売る時代になったのであると。

冒頭にかかげた、「人の心などわかるはずがない」。そんなのは当たり前のことである。しかし、そんな当然のことを言う必要が、現在にはあるのだ。
試しに本屋へ行ってみると、人の心がわかるようなことを書いた本がたくさんあるのに驚かれることだろう。

常識に縛られて生きるのもどうかと思うが、常識のない人は不愉快である。

河合さんがすごいのはその考え方のバランス。決してどちらが「いい」とか「悪い」とか判断しません。
「まぁ時にはこんなふうに考えるのも必要かと思われる。」とかそんなスタンス。素晴らしい。

いくつか響いた言葉を紹介します。そうですよねぇ。

象徴的な死と再生の過程の背後には、実際の死が存在しているのである。
肉体的死を回避しつつ、象徴的死を成就することが必要で、ただただ「死」を避けていたのでは何事も成らないのである。
/// ―「生まれ変わるためには死なねばならない」

運命があるかないか、などと議論してもはじまらない。そんなことはわかるはずがない。
要はどちらの考え方をとるかということで、筆者は、運命はある、と考えるのが好きな方であるが、われわれの人生は、そのような「楽譜」を与えられるにしろ、演奏の自由は各人にまかされており、演奏次第でその価値はまったく違ったものになる、と思っている。
/// ―「同じ『運命』でも演奏次第で値段が違う」

本当に離れるためには、一度どっぷりつかることが必要である。
このことは人間関係ばかりに限らない。趣味などにしても、一度どっぷりつかると、それと適当な距離をとれるようになる。
中途半端なことをすると、「心残り」がするのである。

もっとも、どっぷりつかるのと「溺れる」のとは異なる。溺れる人はやたらとあちこちにしがみつくが、そこを離れることはできない。

どっぷりつかるのと溺れることは似ているので、そこには恐怖感が伴うこともある。溺死すれすれの「どっぷり」などというのも無いことはない。
しかし、本当に「どっぷり」体験をしようとする人は、恐怖を乗りこえる体験をする点でも意味があると考えられる。
/// ―「どっぷりつかったものがほんとうに離れられる」

これに対して、筆者が申しあげたのは、「感謝できる人は強い人です」ということである。
他人に心から感謝する、ということは大変なことである。まず、そのためには、自分が他人から何らかの援助や恩義を受けた事実を認めねばならない。
弱い人はそもそもそのような現実の把握ができないのである。

なかには、感謝するのが難しいものだから、やたらに「すみません」を連発して、あやまり倒すような人も出てくる。
感謝と言っても、適切な感謝ということが大切で、不必要に有難いを繰り返されたり、不相応な贈物をもって来られたりするときは、感謝の拒否と同等のことが心の中に生じていると思ってまちがいないだろう。

繰り返しになるが、ここで「適切な」というところが重要で、感謝病にかかっているような方は、あまり強くはない。だいたい感謝の心というものは、それほど外にギラギラ出てくるものではないからである。
/// ―「強い者だけが感謝することができる」

一人で楽しく生きている人は、心の中に何らかのパートナーを持っているはずである。もちろん、そのパートナーは人によって異なる。
「内なる異性」のこともあろう。母なるもの、父なるもの、かも知れない。「もう一人の私」と表現されるかもしれない。ともかく「話し相手」が居るのである。
一人でも二人であることを、少し面白くするために、ぬいぐるみなどに名前をつけて、一緒に住んでいる人もある。帰宅したときにも「今帰ったよ」とか「今日はこんなことがあってね」とか話しかけるのである。うまくゆくと、ぬいぐるみの方からもいろいろ面白いことを喋ってくれるはずである。

二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きてゆくことが必要である。
一人でも生きてゆける人間が二人で生き、お互いに助け合ってゆくところに楽しみが見出せるものなのである。

同じようなことをしていても、自覚のあるなしによって結果は大分変わってくる。
一人でも二人、二人でも一人で生きるつもりができているか、それをどの程度やっているかなどについて自ら知っていることが必要である。
/// ―「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」

ここに二つの目として、甘い目と厳しい目という例をあげたが、問題によっては、いろいろな目の組合わせを考えるとよいではなかろうか。男の目と女の目などという組合わせも考えられるだろう。天上からの目と地底からの目の組合わせを考えてみるのもいいかもしれない。あるいは、主観と客観の対立を考える人もあるだろう。
いずれにしろ、そのときの状況に応じて必要と感じられる、二つの目の組合わせにより、状況を立体的に把握しようとすることが大切である。
/// ―「二つの目で見ると奥行きがわかる」

ぜひ一度河合さんとは直接お会いしたかったなぁ。

  • Posted at 21:05 on Sep 11, 2007
  • | 4 Comments

4 Responses

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  • HAL says:

    いい言葉が羅列されてますね。
    人の心なんてわかるはずがない。て私も思います。
    も~ほっといてくれよ~なんてね。(笑
    この本頼みました。
    いつも色んな本を紹介してくれてありがとう。

  • そうですよね~(笑)
    なんというか、世知辛い中で「だよねぇ、やっぱり」と
    戻れる感覚、という感じかなぁ。。
    これが河合さんのいう「常識」の優しさなんでしょうね。

    いえいえ、こちらこそありがとうございます。
    いつもHALさんの料理と日常に癒されてます。

  • RITA says:

    たまらないね、この本。
    明日早速探しに行きたい。
    無かったらネットで注文しちゃう!

    生きてると面白いものに出会えるから楽しいね。
    たまに全部投げ出したくなるけど、やっぱ生きてるのはやめられないw

  • どもー ようこそ~(笑)
    本は見つかったかな??
    ほんとこの本はおすすめ。

    なんでもそうだよね、
    楽しくなかったら続けられないもの。

    楽しいことがなにもないという人は、
    まだ楽しいことに出会えてないだけなんだ、それだけのことなんだと伝えたい。
    歩く気力も残ってなくて、待つ気力もない人にはお手伝いしたいなと。
    そこらじゅうに楽しいことは転がってるはずだから
    誰がどれに反応するかなんて、分からないよね。