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自由という強迫

※ぼんやりと思ったことの脳内だだ漏れ散文ですので以下走り書きにて。
※現在公開中の映画「楽園追放」について触れていますので、これから観ようと思っている方はご注意ください。


楽園追放

『楽園追放 -Expelled from Paradise-』[rakuen-tsuiho.com]

▼「楽園追放」を観た。大変面白く、後味も良い作品だった。星で評価するのなら5つ中4つである。セルルックなフル 3DCG 作品としてのテクニカルな面でも注目されている作品だが、一観客としてはいい意味でそのあたりはどうでも良く、CG だろうがセルだろうがフラッシュだろうが「観て良かった」と思えればそれでいいのである。

▼この「楽園追放」の脚本を務めているのが虚淵玄(うろぶち-げん)氏で、あの「魔法少女まどか☆マギカ」の脚本を務めた方である。まどマギ以降、とみに様々な作品でその名を見かけるようになった気がする。テレビアニメの「PSYCHO-PASS(サイコパス)」も脚本、現在放映されている2期では企画原案を務めている。私は別段氏のファンというわけではないが、作品を一視聴者として観ていると、彼の最近のテーマのひとつに「自由」というのがあると感じる。
それは「自由とは何か?」という根本的なものというよりは「その自由と呼ばれているものは本当の自由か?」という「当たり前を疑え」という既存のものに対する疑問提起に近い。

▼「PSYCHO-PASS」は、コンピュータが人間社会全体を支配、管理、統率している時代の話で、人の心をコンピュータで読み取り数値化できるようになっている。それは「犯罪係数」として監視されており、一定以上の数値になった者は公安当局により身柄確保の執行対象となる。さらに数値が高く、危険性が高いと判断されれば身柄確保ではなく、その場での即時処刑対象となる。
ここで興味深いのは「実際に犯罪行為を行っていなくても、犯罪係数が高ければ執行対象となる」という点である。つまり、人の心の在り方そのものを断罪する社会となっている。
結果、表面的には「サイコパス」の社会は実際の犯罪は少なく、また人は事前に向き不向きを検定され、適材適所としてそれぞれの職務に就いている。
物語としてはそこに「イレギュラー」な存在が現れたり、本来なら有り得ないことが起こり、人の心とは何か、という問いを突き付ける内容となっている。

▼「楽園追放」は、現在の人類である旧人類、肉体という枷を脱ぎ捨て電子の世界で無限の可能性を手に入れた新人類、そして知能を得たロボットの三者が織りなす物語である。
旧人類と新人類が一緒に旅をするのだが、物語の途中「お前も永遠に自由な生活を謳歌できる新人類とならないか?」という誘いに対し、旧人類はこう答える。「お前たちはそれを自由だというが実際にはメモリーの限界があるではないか。少ないメモリーしか割り当てられない市民の生活はどうだ? 確かに地上は危険も多いし、能力のない奴は淘汰される。それでも自分たちはどこに行き何を見るか自由だ。与えられたメモリーの中に囚われる自由など御免だ」という感じで断る(うろ覚え)。

▼私は思うのだ。「自由とは何か」と。何を見、何をするのか。それを選択できることが自由なのか?

▼あなたに左右の両手が備わっているとしよう。左手で読んでいる途中の本を閉じないように押さえている。少し喉の渇きを覚えたので右手で水の入ったグラスを取る。その時風が吹き、机の上のメモが飛ばされそうになったので押さえようとする。さあ、どの手でそのメモを押さえる? 本から左手を離すか、グラスを置き右手を伸ばすか。どちらにしてもメモを押さえようとするならどちらかを選択しなければならない。選択とは不自由から生じる行為である。

▼私は思う。「自由と不自由は一体」なのだと。「自由とは不自由を感じることそのもの」なのだと。不自由を感じるとき、あなたは、私は自由なのだ。自由だからこそ、不自由を感じるのだ。
自由だからこその不自由であり、不自由であるから自由なのだ。おそらく、自由/不自由の対義語は全く別の何かであろう。それは何かについて考えるのも面白いかもしれない。

▼「楽園追放」を観ていてひとつ気になったのはそこだった。旧人類が新人類に「お前さんが重く自由の利かない肉体を手に入れて地上に来た。初めて病気にもなり、初めて熱い食事をした。
この世界はたくさんの不自由で溢れている。何をするかで悩み、どこに行こうかと悩む。俺たちも同じだ。今お前さんが迷っているのは自由だからだ。肉体があるかないかなんて関係ない。結局、新人類も旧人類も同じなんだよ。そして宇宙に行こうとしているあいつもな」みたいな感じで「同じだ」ということを伝えようとしていたら、たぶん私は手放しでこの作品に星5つ中20個は与えただろうと思う。

▼正直なところ、私はコンピュータに支配され監視された社会もいいと思うのだ。肉体を捨て、電子の海で年中リゾート気分を味わうのもいいと思うのだ。それらが自由だ不自由だと論じるつもりがそもそもないのかもしれない。我々は現在自由か? 自由でなければならないのか? その問いを持っている時点であなたは自由なのだと私は答えたいと思う。
結局は今と変わらないのである。知能を得たロボットと我々の差異は何か。もう同じでいいんじゃないかな、というのが私の思いだ。あまりに「人は自由であるべきだ」という強迫に囚われている気がするのである。その発想自体が既に自由である論拠なのだと。

▼「楽園追放」で最も良かった台詞はロボットに「宇宙人に会ったら胸を張って言っていいんじゃないかな、人類の末裔です、って」というものだ。
共に悩もうではないか。自由とは何かと。その心こそが自由なのではないかと。

▼最後に自由なる不自由の告白で閉じようと思う。

・アンジェラかわいい。ぜひメアド交換したい。
・劇場限定版 BD が買えなかった。欲しい。
・アンジェラかわいい。もう一回観たい。

  • Posted at 19:30 on Nov 26, 2014
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