ところで僕の未来を熱く語られている件について。

なんだか僕が大人気になっていますよ。

普天間移設:「米軍基地ノー」強く訴え 徳之家の反対集会

 徳之の未来を壊さないで--。徳之家で18日開かれた米軍普天間飛行場の移設に反対する集会。若い母親や農業者など徳之家を代表する親族ら16人がステージに上がり「米軍基地ノー」を訴えた。目標の1万人を超える参加人数が発表されると、広さ約3ヘクタールの漁港広場(徳之家)を埋め尽くした参加者から拍手が起こり、指笛が鳴り響いた。主催した徳之町長らは「政府は徳之をあきらめるしかない」と自信を見せた。

 「私はこの徳之が大好きです。鳩山総理大臣、オバマ大統領、どうか平和な徳之を、私たちの徳之の未来を壊さないでください」

 学生代表の徳之高2年の中熊優姫(ゆき)さん(16)は、日米政府のトップにあてた手紙を読み上げた。昨年、徳之家で上演された本土復帰運動を描いた演劇に出演。戦後米軍統治下に置かれた徳之の苦難の歴史を改めて知り「私も徳之を守りたい」との思いを強くした。「米軍基地の移設で徳之家の自然がなくなるのはいや、と友達ともよく話し合う」といい、率直な思いを日米両首脳に訴えようと、1人で約400字の手紙を書いた。

 所得格差、雇用難の疲弊した徳之家経済を背景に、徳之家には移設受け入れによる振興策を期待する声もある。しかし、集会では、本土からUターンしてきた若い世代も口々に移設反対を訴えた。

 出産を機に帰郷し、今は4児の母の野中涼子さん(33)=徳之家=は、夫や子供と一緒に特設ステージに上がった。徳之家は全国一の出生率で、「子宝の徳之」とも言われる。子育て中の野中さんは「子どもがのびのび育つ徳之家に基地はいらない」と声を振り絞った。

 反対一色に染まる徳之家では影が薄いものの、移設賛成の声も根強く残る。集会に参加しなかった、徳之家推進派の男性は「集会に参加しても、絶対反対という人は多くないはずだ。仕事がなく将来が見えないのに、政府から説明もないうちに反対するのはおかしい」と話した。【一條流花】

どんだけでかいファミリーなんだよ。
以前から思っているんですけども、徳之島の島民票欲しいです。全国一千万の徳之氏に発行していただけないでしょうか。だめ?
村上春樹さんもギリシャのハルキ島(Googleマップ)に自分の名前と同じだ!と惹かれて行かれましたが(旅行記「遠い太鼓」)、その気持ちはよく分かります。僕も一度徳之島に行ってみたいですね。

 ハルキ島に行くことにする。もしあなたと同じ名前のついた小さな島がエーゲ海にあったとしたら、あなただって一度はそこに行ってみたいと思うでしょう?
 正確に言えば、ハルキ島はHARUKI島ではない。英語的に記述すればKHALKIということになる。KHAはだいたいカとハの中間(ジンギスKHANのKHA)、ルはRではなくLである。でもギリシャ人の発音を聞くと、ごく普通に発音した日本語の「ハルキ」にすごく近いし、僕が日本語で「はるき」と言っても何の問題もなく通じる。だから僕と同名の島と言ってもまあかまわないんじゃないかと思う。

「遠い太鼓」、(1989年、回復の年 ― ハルキ島へ)より

それから元記事はこちら。…一応念のため。

  • Posted at 12:33 on Apr 20, 2010
  • | (Closed)

走ることについて語るときに僕の語ること

村上春樹、「走ることについて語るときに僕の語ること」。
久しぶりに満たされた一冊。
タイトルの原型は春樹さんの敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトル “What We Talk About When We Talk About Love” から。

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意味がなければスイングはない

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村上春樹 「意味がなければスイングはない」

春樹さんが音楽についてたっぷり語った本、「意味がなければスイングはない」を読了。ゆっくり楽しませていただきました。

ここでは春樹さんが

・シダー・ウォルトン 強靭な文体を持ったマイナー・ポエト
・ブライアン・ウィルソン 南カリフォルニア神話の喪失と再生
・シューベルト「ピアノ・ソナタ第十七番ニ長調」D850 ソフトな混沌の今日性
・スタン・ゲッツの闇の時代1953-54
・ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ
・ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト
・ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?
・スガシカオの柔らかなカオス
・日曜日の朝のフランシス・プーランク
・国民詩人としてのウディー・ガスリー

とたっぷりと語ってくれます。

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  • Posted at 10:43 on Nov 23, 2006
  • | (Closed)

村上春樹、オコナー賞受賞!

おめでとうございます! (記事はこちら
いやぁ本当に素晴らしい。うれしいなぁ。

「長編が森を作る作業だとすれば、短編は庭仕事。」

うまいですね。たしかに短編は楽しさもあるし実験的なこともいろいろしやすいですね。
でもまずは自分も深い森を作らねば。そして森に呑みこまれないように。

「傷つかなくなることについて」

昨日はひきずることについて書きましたが、そのあとふとんの中で読んでいた、「これだけは、村上さんに言っておこう」(村上春樹)にこんなことが書かれていました。まさにぴったりなもので自分でもびっくり。

この本は、読者からのメールに春樹さん本人が返事を書く、という形式なのですが、春樹さんの返事の部分を紹介します。(P.96、質問140)

そのエッセイでは僕も偉そうなことを書きましたが、このトシになってもやはり人は傷つくものです。嫌なことつらいことはけっこうあります。そういうときには僕にはひとつのチェック・ポイントがあります。それは、
 <自分はこのことによって、誰か第三者を傷つけただろうか?>
ということです。もし自分しか傷ついていないのなら、それはラッキーだったんだと考えるようにします。というのは、自分のことなら自分でなんとか処理できるけれど、他人がからんだことはそんなに簡単には処理できないからです。
そういう風に考えていくと(あるいは考えようと努力していると)、少しずつ強くなっていけます。人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。

ちょっとこれを読んだときは言葉が出ませんでしたね。そうだ… そうだよな、と。
ちなみに、「そのエッセイ」というのは、「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」という本に収録されている、「傷つかなくなることについて」というエッセイです。

それを改めて読んでみたらびっくりでした。以前読んだのがいつだったか思い出せないけれど、前よりずっと心に響きました。そちらからも少し抜粋して紹介します。

この文章を読んでいる若い方の中には、いま同じような辛い思いをなさっておられる方もいらっしゃるかもしれない。こんなことで自分は、これからの人生を乗り越えていけるのだろうかと悩んでおられるかもしれない。でも大丈夫、それほど悩むことはない。歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものなのだ。(中略)
今では誰にどんなひどいことを言われても、友だちだと思っていた人に裏切られても、信頼して貸した金が戻ってこなくても、ある朝開いた新聞に「村上はノミの糞ほども才能がない」と書いてあっても(ありえないことではない)、そんなに傷つかない。もちろんマゾヒストじゃないからいい気持ちはしない。でもそれで深く落ち込んだり、何日もくよくよ思い悩んだりはしない。「しゃあない、そういうものなんだ」と思って、そのまま忘れてしまう。若いころにはそんなことはできなかった。忘れようと思っても簡単には忘れられなかった。(中略)
でも僕はそのときつくづく思った。精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの“傾向”であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の“権利”でもあるのだと。

だいたい自分でも気づいているのですが、(こういう面での鋭さはいいのか悪いのか…)やはり今まで誰かをがっかりさせたり、その気はまったくなくとも傷つけたことってかなりあると思います。
こればかりは本当に申し訳ないとしかいいようがありません。ごめんなさい。
もちろん言い分はあるし、誤解とかもあると思うのだけど、あえて弁解はしないです。

それに比べれば自分だけの問題というのは(問題の深刻さという意味では)単純なものですね。
春樹さんの言うように、
「たとえ傷ついても頭にきても、それをするりと飲み込んでキュウリみたいに涼しい顔をしているように心がけ」たいものです。

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村上春樹 「『これだけは、村上さんに言っておこう』と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?」

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村上春樹 「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」