ena long interview
minkのCDジャケットなどを手がけていることで知ったイラストレイター、enaさん。かなり好きです。歳も近いし応援してます。
そのenaさんのインタヴュー記事がMACPOWER誌の8月号に掲載されています。780YENです。
今後の夢としては、グレーの明度とか黒の濃さにこだわった印刷で自分のイラスト集を作りたいとのこと。
ぜひ作ってください! 出たら絶対買います。キャッシュカード欲しさにりそなに入りたいくらい。(笑)
minkのCDジャケットなどを手がけていることで知ったイラストレイター、enaさん。かなり好きです。歳も近いし応援してます。
そのenaさんのインタヴュー記事がMACPOWER誌の8月号に掲載されています。780YENです。
今後の夢としては、グレーの明度とか黒の濃さにこだわった印刷で自分のイラスト集を作りたいとのこと。
ぜひ作ってください! 出たら絶対買います。キャッシュカード欲しさにりそなに入りたいくらい。(笑)
チャールズ M. シュルツ スヌーピーたちの心の相談室(1) 楽天家になる法
先日買った”PEANUTS”の文庫本、「スヌーピーたちの心の相談室(1) 楽天家になる法」を読みました。まともに”PEANUTS”を読んだのは初めてでしたが、彼らに魅了。
なにを解決するわけでもないし、なにかを追い求めているわけでもない。
ハッピーエンドが待っているわけでもないし、なにか揺らぐことのない信念があるわけでもない。
それでも一話・数コマの中の彼らのなにげないやりとりは、読み手の心にすーっと入ってきておだやかな空気を残して消えていきます。
そしてふと気づくと「そうだよな」と見逃していたなにかに気づいたりする。
それはあるいは視点だったり。なにかの基準だったり。大したものだと思っていたものが大したことではないように見えたり。
でもそれらは登場人物たちが訴えかけるのではなくて、読み手(つまり自分)が読んでふと湧きあがってくる感情。
直接自分に対しては出てこない思いや考え方が、スヌーピーたちに向かって芽生え出て、「あ、これは自分のことではないか」と気づく。不思議。
おすすめです。読んだのはシリーズもののようなのでほかのも読みたいなと思いました。
スヌーピーとウッドストックのやりとりがほのぼので好きです。
本屋でピックアップした本ですがこれはすごい。オススメです。
「食品の裏側 ― みんな大好きな食品添加物」
食品添加物を扱った本ですが、危険性を煽る今までの本とは違います。
まず明確にすべきなのは著者の狙いですが、食品添加物の実態を暴いて、その危険性を認識し、避けなさい―
そのようなこの類の書籍に見られがちな従来のスタンスではない、ということです。
著者自身は食品添加物の神、とまで言われた人物ですが、本書の目的は、食品添加物そのものだけでなく食品業界の実態をまず「知ること」、つまり食品の情報公開です。
そこから先は消費者個人が選ぶべき問題であり、まずは「実態」が明らかになるべきであろう、と。そして現状はそうではない。
その「実態」とは食品添加物と食品業界の内側なわけですが、この本には難しい化学名称を並べ立て、これこれにはこのような危険性が指摘されている、というものはありません。むしろ、食品添加物の恩恵にも何度となく注目しています。
商品の原材料名ラベルの裏側はこうなっているんですよ、というのが主なアプローチです。そして目的は、それを正しく知ってから選んでください、というもの。
食品添加物のない食べものを探し出し、それを日々の生活の中で続けるのは大変難しいもの。
ではどうすればよいのか。そんな現実的な視点が常にあります。そこに大変私は好感を持ちました。
読めば次の食事から食に対する見方に新たな視点が加わります。
ひとつ気になったのは、文中に出てくる(帯にもピックアップされている)、虫を原料とした着色料。
これはおそらくペルーなどで生産されているエンジムシだと思いますが、本書では「虫である」ということで注目させようとしている。「これは虫が原料の着色料なんですよ」と。
これは筋違いではないかと思いました。化学的な着色料ではない、天然のものなのに。この一点だけは本書の中で場違いな指摘を受けている気がします。
もしこの着色料を指摘するならば、それが「虫を原料としている」ことではなく、それを着色料にするまでの「加工過程」に目を向けるべきかと。(その加工過程では化学品が使われます。が、そのことには触れられていない。)
ちなみにエンジムシは、古代から衣料の染料などに使われ、現代では安全性を求める動きから天然材料を使う化粧品などに使われています。
そんなところはありながら、一貫して問題にすべきところを「危険性」ではなく「情報公開のされてなさ」にしているところが評価できます。
おすすめの一冊です。
ただこれもまた帯がお粗末と言わざるを得ない。
「知れば怖くて食べられない!」
違うだろーーっ!!
編集者はちゃんとこの本を読んだのか? 問いたい。問い詰めたい。
序文に書かれている、
「私が主張したいのは、『添加物の情報公開』ということです。」
編集サイドもそういう著者の意向を尊重していただきたい。
上の帯の体裁でやるなら、
「なぜ、特売品は安いの!?」
が妥当かと。なぜ安いのでしょう? その答えはこの本の中に…。
読みきれていないのに本は増えていきます。今日買った本(雑誌)を。
「FUDGE(ファッジ)」
これは女子向けファッション雑誌。最近は女子向けファッション雑誌コーナーでも平気で立ち読みしてます。(笑)
このFUDGEという雑誌は初めて見たのですがこれがなかなかいいです。テイストがかなり自分好み。
どんなものかというと、白を基調に落ち着いたカラーでまとめられています。ナチュラル&スロウ、というんでしょうか。これはちょっとこれからもチェックしたいと思う雑誌でした。この前はためしにJJを買ったけどその正反対のような感じです。
ぜひぜひ本屋さんで見てみてください! 自分はこういうのが大好きなのです。センスの良さに男も女もありません。
FUDGE5月号、580円です。
「しあわせのねだん」 角田光代
こちらは先日紹介した、「対岸の彼女」の角田さんのエッセイ。
日々の生活の中のいろんなものの値段をめぐるエッセイですが立ち読みして思わず笑ってしまったほどおもしろそうなのでピックアップ。
「ビル・ゲイツの面接試験 -富士山をどう動かしますか?-」 ウィリアム・パウンドストーン
マイクロソフトの面接試験、こういう系の本を以前から読みたいと思っていたのですが今日出会えたのでゲット。
自分の思考力がまったくついていけないレヴェルの話を吹っかけられると自分は妙に興奮します。よだれが出そう。
「…は? どういうこと?」っていう感覚が大大大好きです。こういうのは自分から首を突っ込まないとなかなか出会えません。
「富士山をどう動かしますか?」
「スヌーピーたちの心の相談室 1.楽天家になる法」 チャールズ・M・シュルツ
ピーナッツ、自分は持っていないのですが、以前、NHKの「クローズアップ現代」に取り上げられて以来、読みたいと思っていました。
これは原作からテーマに沿ってピックアップしたもののようですがそれでもピーナッツの魅力に触れられるだろう、と購入。
ピーナッツって人生の核心をふっと見せてくれますよね。曇ったガラス窓をさっと拭いて世界の真実の姿を見せてくれる、そんな感覚です。
どれも読むのが楽しみ。
昨日はひきずることについて書きましたが、そのあとふとんの中で読んでいた、「これだけは、村上さんに言っておこう」(村上春樹)にこんなことが書かれていました。まさにぴったりなもので自分でもびっくり。
この本は、読者からのメールに春樹さん本人が返事を書く、という形式なのですが、春樹さんの返事の部分を紹介します。(P.96、質問140)
そのエッセイでは僕も偉そうなことを書きましたが、このトシになってもやはり人は傷つくものです。嫌なことつらいことはけっこうあります。そういうときには僕にはひとつのチェック・ポイントがあります。それは、
<自分はこのことによって、誰か第三者を傷つけただろうか?>
ということです。もし自分しか傷ついていないのなら、それはラッキーだったんだと考えるようにします。というのは、自分のことなら自分でなんとか処理できるけれど、他人がからんだことはそんなに簡単には処理できないからです。
そういう風に考えていくと(あるいは考えようと努力していると)、少しずつ強くなっていけます。人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。
ちょっとこれを読んだときは言葉が出ませんでしたね。そうだ… そうだよな、と。
ちなみに、「そのエッセイ」というのは、「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」という本に収録されている、「傷つかなくなることについて」というエッセイです。
それを改めて読んでみたらびっくりでした。以前読んだのがいつだったか思い出せないけれど、前よりずっと心に響きました。そちらからも少し抜粋して紹介します。
この文章を読んでいる若い方の中には、いま同じような辛い思いをなさっておられる方もいらっしゃるかもしれない。こんなことで自分は、これからの人生を乗り越えていけるのだろうかと悩んでおられるかもしれない。でも大丈夫、それほど悩むことはない。歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものなのだ。(中略)
今では誰にどんなひどいことを言われても、友だちだと思っていた人に裏切られても、信頼して貸した金が戻ってこなくても、ある朝開いた新聞に「村上はノミの糞ほども才能がない」と書いてあっても(ありえないことではない)、そんなに傷つかない。もちろんマゾヒストじゃないからいい気持ちはしない。でもそれで深く落ち込んだり、何日もくよくよ思い悩んだりはしない。「しゃあない、そういうものなんだ」と思って、そのまま忘れてしまう。若いころにはそんなことはできなかった。忘れようと思っても簡単には忘れられなかった。(中略)
でも僕はそのときつくづく思った。精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの“傾向”であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の“権利”でもあるのだと。
だいたい自分でも気づいているのですが、(こういう面での鋭さはいいのか悪いのか…)やはり今まで誰かをがっかりさせたり、その気はまったくなくとも傷つけたことってかなりあると思います。
こればかりは本当に申し訳ないとしかいいようがありません。ごめんなさい。
もちろん言い分はあるし、誤解とかもあると思うのだけど、あえて弁解はしないです。
それに比べれば自分だけの問題というのは(問題の深刻さという意味では)単純なものですね。
春樹さんの言うように、
「たとえ傷ついても頭にきても、それをするりと飲み込んでキュウリみたいに涼しい顔をしているように心がけ」たいものです。
村上春樹 「『これだけは、村上さんに言っておこう』と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?」
村上春樹 「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」