BURBERRY Made in China?

英国の老舗ブランド、バーバリーが英国の工場を閉鎖し、中国に移転するという報道。(記事

うーん、これは実現するとしたら私は残念。
なんでブランド物(本物)を買うかって、それはそのブランドのヴィジョンやアイデンティティに共感するからじゃないかと。ブランドというのは、とくに老舗で言えば文化でもあるわけで。
バーバリーだったら英国の空気、英国の思想が染みついていないとね。それが中国で作ったほうが達成できるというならしょうがないけれど、この記事を読む限りでは目的はただの効率化とコスト低減のようです。
高ければいいってもんじゃない、というのは真実ですが逆もまたしかり。安ければいいってもんじゃない。
いわゆるブランド物って、本質は「高いから・安いから、買う・買わない」というレヴェルではないと思います。もっと意識の問題だと思いますね。
今回の「バーバリー、英国撤退中国移転」の報を聞いて「魂を売った」という言葉がふと頭に浮かびました。

ところで以前触れたことのある、BURBERRYのBLACK LABELとBLUE LABELのサイトがいつの間にかできてました。
BLACK LABEL
BLUE LABEL

  • Posted at 06:04 on Jan 16, 2007
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myself/yourself

惑さんが以前紹介されていた記事

1992年6月、ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ。
そこで当時12歳の少女が国連会議にて世界の指導者たちを前にした伝説のスピーチ。
そのスピーチ全文はこちらをどうぞ

大人なんかクソくらえだ、と寒空につぶやいていた自分もいつのまにか大人になってるわけで。
今年は生徒と教師の関係が注目されたけれど、問題は、本当に尊敬できる大人がいないということじゃないかと。
どんなにヒドイ環境に置かれても、その中でたった一人でも、心から尊敬できる大人がいたら子どもの視線はそちらにフォーカスされる。それは親じゃなくても先生じゃなくてもいい。近所の人でもブラウン管なり液晶の中の人でもいいかもしれない。CDで歌ってくれる人でもいいかもしれない。本の中で語ってくれる人でもいい。
どこでもいいから、手を伸ばせば彼ら、彼女たちの手を握れるところに僕はいたい。ときには絵の中で。ときには本の中で。
でも考えてみると「尊敬できる大人」ってのは本当に難しいことだな。でもそこで「しょうがないだろう、子どもには分からない」なんて煙に巻く大人はそれこそクソでもくらっていればいいわけで。

なぜ冒頭のスピーチからこんな話になったかと言うと、大人に欠如しているひとつの意識が、「自分は子ども自身でもある」ということだと思うから。
未来のことに鈍感でいられるのは、根底に「自分には関係ない」という意識があるから。
でも子どもが自分自身でもあると自覚しているなら、関係ないとは言えない。

自分は自分だけのものだ、と考えるか。
自分は君でもある、と考えるか。
人間はみんなつながってる、と考えるか。

“myself/yourself”

わたしはあなたでもあり、あなたはわたしでもある。
その意識を持っているのが大人じゃないか。僕はそう思う。
リオで12歳の少女が投げかけた問いも、孤独に葬られた少年少女の声も、結局は同じ答えを待っているように、僕は感じる。

  • Posted at 20:09 on Dec 24, 2006
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無我

先月号のFUDGEに掲載された高木正勝さんの言葉より。

何かを表現しようとして表現すると、いつも失敗してしまう。
散々悩み抜いても答えが見付からなかったり、何か別のものに衝撃を受けて頭が混乱してしまったり、もしくは、何となく「今だ」と勝手に思った時に、覚悟を決めて取りかかると、不意に新しい映像や音楽が生まれる。
自分がいなくなってしまった様な、何か大きな波に乗っかった気分になる。
そんな時に、本当に良い表現や作品が生まれる。

手を動かせば、メロディーや色は幾らでも出てくるけれど、本当に作品として残したい部分、人に伝えたい部分というのは、実は、その瞬間そのものなのかもしれない。
そこには、自分というものは、あまり存在していない気がする。存在してはいけない気がする。
表現者と周りから言われる立場にあるのに矛盾した話だけれど、自分が表現するものに自分が存在してはいけない気がする。
何か別の、もっと大きなものに触れて。
それを残したいし伝えられる形にしたい。

まさにそうなんだよなぁ。
本当に人を感動させるもの、ってジャンルは関係なく、創っている本人はその瞬間、どこかに行っているような気がする。
「神懸る」という表現があるけれど、まさにあの瞬間はなにかが降りてる。

その時、自分は存在してはいけない?。
まさにその通りです。

  • Posted at 18:24 on Dec 10, 2006
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Creative Class

ここのところ忙しかったのでたまってきた雑誌・新聞などの切り抜き記事をスキャニング。
母が「これってあなたのことじゃないの?」と教えてくれた記事を紹介。

外回りの営業を終え喫茶店で一息。そんなとき、新種の客が増えたのに気づいた人も多かろう。
くだけた服装だが学生ではなくノートパソコンで仕事に没頭。彼らのようなタイプを米国の社会学者がクリエーティブクラス(創造者階級)と名付けたのが四年前だ。

創造性を最大の武器にIT、デザイン、マーケティングなどの分野で働く人々を指す。クラスといっても収入や資産で区分するのではなく、価値観やライフスタイルで階層をくくった点が新しい。
仕事と余暇の境目を意識しない。職場の机よりカフェで気分良く仕事。ものづくりや知識の習得が好き。流行は追うのではなくつくり出す。年収はまちまちでも、そんな傾向は共通するそうだ。

こうした志向は若年層を中心に、業種を問わず広がっているのではないか。細かく管理の網をかける従来の発想では彼らの力は発揮されにくい。
働くことの意味や形は変わりつつある。

日本経済新聞 2006/11/05朝刊より(一部抜粋)

まさに。
もちろん世の中が全部クリエーティブクラスになる必要はないし、なったとしたらそれもまた悲劇。大切なのはそれぞれの歯車が気持ちよくお互いにハマってきれいに回っていくこと。
自分はこの記事で言う「クリエーティブクラス」の価値観の人間なので「今の時代に生まれてよかったなあ」としみじみ。(笑)

カフェでキーボードをぱたぱた。最高です。

徒然なるままに…

徒然2ちゃんねるさんが閉鎖。
2ちゃんからまったり、しんみり系のレスを紹介しているお気に入りサイトでした。おつかれさまでした&ありがとうございました! PCを前に涙ぐむことがたびたびありました。人間の生きる美しさ、素晴らしさを感じられるサイトです。

しばらくは記事も公開しておくとのことです。もしよろしければ最後の機会にぜひ。だいたいどの記事もおすすめですが、最近ので私が特に好きなのを紹介しておきます。

思い出のナスあんかけ
俺、いま幸せだよ
「ほら、しっかりしなよ」
LET IT BE
酔ってかかってきた電話

みんな、元気でね。