均衡を取ろうとする自分と、それを眺めてしまう自分
高校の恩師、佐野先生のブログで語られた「デリケート・バランス」。
まさに… そこなんですよね、自分の位置も。
紹介します。
デリケート・バランス(上)
デリケート・バランス(中)
デリケート・バランス(下)
「生きること」と「食べていくこと」。
先生の言葉が強烈に響いたので引用させていただきます。
(芸術家にとって)「生きること」と「創ること」は一致しているのであって、そこに「食べること」への意識が介入する余地は無い。私の「AとBとのバランス」など、芸術家にとっては「生ぬるい戯言」だと思い知らされた。(中略)
あれから40年…私は今なお「デリケート・バランス」に生きている。忸怩たる思いもあるが、これもまた「自分の人生」だと思えないこともない。しかし、残された人生の時間を全て演劇創造に充てることで、あの21歳だった自分、打ちのめされていた自分に応えて上げたい気持ちもある。
正直、自分は打ちのめされ続けている気がする…。
手を抜いてるわけじゃない、全力で対峙しているつもりだけど、まだまだなのかな。まだまだなんだろうな。ゆっくり考えたい、時間がほしい、と思うのは甘えなのかなぁ。
先生の
「流されそうな川の真ん中に杭を打ち込み、それに一時しがみつきたい」が本音だった。立ち止まる時間が欲しかったのである。
という言葉、痛いほどよく分かります。
これはしばらくまたこもって考えます。
この前「考える前に飛べ」と書いたけれど、やっぱり考えてしまう。我ながらもどかしいというか苛立つというか。
2 Responses
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HAL says:
ichijoさん、よい先生をお持ちですね。
なかなかに心のひだを語ったりしてくれる先生はいないものです。
小学5年生のとき、「痛いときに痛いと言える人間になろう。」と
真摯に話してくれた先生がいました。
高校生のとき、どんな落ちこぼれもすくってくれる先生がいました。
先生が先生らしい時代に生きていたことで
不肖HALも何とか真っ当に人生を歩めたかと思います。しかし、このバランスは難しいですね。
一見穏やかそうに見えるらしい私は(笑)、実は人の好き嫌いが
はっきりしてて実害を及ぼす輩とは一緒に仕事ができません。
人とは怖い生き物だな?とつくづく思うのです。
色んなことを我慢して食うために仕事をしていれば、
私ももうちょっとはお金持ちになってたかな?(笑)美輪明宏さんの言葉にお給料は我慢料というのがあります。
なるほど?と唸った私でありました。
人生の中のあれやこれやの経験や自分が出会う様々な修行は
何やらすべて訣あってのことのようで、
何度も何度も立ち止まり、行き越し道を振り返り、
さて、私はどこに行きたいのか?とためいきついたり。(^^ -
nori says:
HALさんありがとうございます。
そうですね、難しいバランスですよね。
働くというのは人間関係によるところが大きいですしね。
「我慢料」というのも言いえて妙、ですね。(笑)我慢もある程度は必要、我慢しすぎは無用、これもバランスですね。
人生は“しゃっこんしゃっこん”とシーソーに乗ってるようなものなのかもしれません。
楽しんで乗れれば苦労はないのですが。。。(^^;でもやっぱりバランスなんてほっぽりだしたい気持ちもあります。(笑)