自分勝手
最近の自分のテーマ、「自分勝手」。
「自分勝手」というとネガティヴなイメージがあるけれど、僕はそうは思わない。むしろ本来あるべき姿であるとも思っている。
「自分勝手」、それはつまり「自分の意思」。
なぜ人は「自分勝手(=自分の意思)」というと「人のことを考えていない」などのイメージにつながるんだろうか。
自分勝手に生きるといって人を貶めたりするのは、少なくとも自分の選択肢にはない。
自分の意思で人のことを考えたりしない、というのは不自然に映る。
自分勝手に自分をときには犠牲にするのは自然にありうることだと思うんだけど。
自己犠牲というけれど、それは自分の選択であるなら犠牲ではないんだけどね。犠牲じゃなくてただの自発的な選択。
それに気づいたら昔はあった「自分を犠牲にしている」という意識がすっかりなくなってしまった。つくづく最近自分は自分勝手だと思う。
自分勝手に愛情深く、
自分勝手に思いやり、
自分勝手に必要なら助けを与え、
自分勝手に必要ならただ見守り、
自分勝手にふさわしく親切で、
自分勝手に可能なら基本的に他人を優先し、
自分勝手に悟りをたくわえ、
自分勝手に思慮深く、
自分勝手に賢明さと聡明さを持ち、
自分勝手に物事のバランスをとり、
自分勝手に物事をよく観察し、
自分勝手にこういう「私利私欲」におぼれながら、
自分勝手に生きたい。
僕はそう思う。
ものすごくシンプルに。ものすごく自分勝手に。