自分勝手

最近の自分のテーマ、「自分勝手」。
「自分勝手」というとネガティヴなイメージがあるけれど、僕はそうは思わない。むしろ本来あるべき姿であるとも思っている。
「自分勝手」、それはつまり「自分の意思」。
なぜ人は「自分勝手(=自分の意思)」というと「人のことを考えていない」などのイメージにつながるんだろうか。
自分勝手に生きるといって人を貶めたりするのは、少なくとも自分の選択肢にはない。
自分の意思で人のことを考えたりしない、というのは不自然に映る。
自分勝手に自分をときには犠牲にするのは自然にありうることだと思うんだけど。
自己犠牲というけれど、それは自分の選択であるなら犠牲ではないんだけどね。犠牲じゃなくてただの自発的な選択。
それに気づいたら昔はあった「自分を犠牲にしている」という意識がすっかりなくなってしまった。つくづく最近自分は自分勝手だと思う。

自分勝手に愛情深く、
自分勝手に思いやり、
自分勝手に必要なら助けを与え、
自分勝手に必要ならただ見守り、
自分勝手にふさわしく親切で、
自分勝手に可能なら基本的に他人を優先し、
自分勝手に悟りをたくわえ、
自分勝手に思慮深く、
自分勝手に賢明さと聡明さを持ち、
自分勝手に物事のバランスをとり、
自分勝手に物事をよく観察し、
自分勝手にこういう「私利私欲」におぼれながら、
自分勝手に生きたい。

僕はそう思う。
ものすごくシンプルに。ものすごく自分勝手に。

  • Posted at 21:26 on May 16, 2007
  • | 4 Comments

4 Responses

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  • miki says:

     自分の欲求を満たしたい、と思い考えたり行動したりすることは、本来人間に与えられている当然のことだそうです。そのやり方を間違えると(人を傷付けたりだとか)それは利己的ということになるけれど、一人一人が欲を持ちそれを満たそうと正しい方法で突き進んでゆくことは間違ったことではないんですって(聖書的でもある)。自己犠牲、とか、欲、とか、自分勝手、というとどうもネガティブな意味にとられがちだけど、本来、欲がない人間っているんだろうか、そういう人、たまに見かけるけど、ある意味、(本当の)人間じゃないような気がする・・・(笑)!。

  • yuko says:

    「大切なのは自分のため」
    正しいと思います。
    ぐらついたら、たむらぱんの『責めないデイ』、救われます。
    視聴お勧めです☆

  • >>mikiさん
    そうだよね。

    > 一人一人が欲を持ちそれを満たそうと正しい方法で突き進んでゆく
    たとえば人のためになることが(親切だったり思いやりだったり)
    「自分の欲」なんだよね。
    だから自分勝手にならないと発揮されない。
    「良心+自分勝手」って最強のコンビだと思う。

  • >>yukoさん
    そうそう、自分のためって大切だよね。
    他人と自分を分けて考えると問題がでるような気がするよ。
    人のため=自分のため、になるのに。
    最近はそういう意味で自分のためになることしかしないから
    自分のやることや判断することに抵抗や負荷を感じなくなった。

    > 「責めないデイ」
    ありがとう!
    myspaceで見つけて聴いたーー!
    これ、まさにそうだね。
    責める必要なんてない、ほんとそう思う。
    いろんなことをそのまま受けとめる、器というか見方の広さって大事だよね。
    自分のためにならないことなんてない、って最近よく感じるよ。