人生の言葉
人生の言葉
ISBN: 978-4-284-80041-9
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本屋で見つけて少しパラパラとめくり、気に入ったので購入。1050円。
これが大変良かったです。編集も丁寧なので(余計なものが一切ない。「言葉」に集中できる。)おすすめです。
特に胸に残った言葉を紹介。
考えるままに生きるべきである。
さもないと、生きているままに考えることになる。
– ポール・ブールジェ(1852-1935, フランスの作家、批評家)
考えるがままに生きる、というのは無理のない生き方のはずなのに、なんだかとてつもなく難しいことのように思えます。
雨だれが石を穿(うが)つのは、激しく落ちるからではなく、何度も落ちるからだ。
– ルクレティウス(BC99?-BC55?, 古代ローマの詩人、哲学者)
冴えてる人だなあ、と思ったら紀元前の方ですか…。
悟りとは平気で死ぬことではない。
平気で生きていくことだ。
– 正岡子規(1867-1902, 明治の俳人、歌人)
深い。深すぎる。自分はまだ悟りには至っていないようです。
人生はクローズアップでみると悲劇だが、
ロングショットでみると喜劇だ。
– チャールズ・チャップリン(1889-1977, イギリスの映画俳優)
この人生も、世界の人生も、喜劇にみえるときがくるといい。
一夜にして成功を収めるためには20年かかる。
– エディー・カンター(1882-1964, アメリカのコメディアン、歌手)
にやり、としてしまいました。
人間は醜い、だが人生は美しい。
– ロートレック(1864-1901, フランスの画家)
おそらくは、「人生は美しい」に至るまでにものすごく長い道のりが必要だったのではないか、と思いました。
光は暗闇を追い払う。光を見て、その美しさについて考えよ。一度目を閉じ、再び見える光は最初のものとは違う。
前に見た光はすでにそこにはない。
– レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519, イタリアの画家、彫刻家、建築家)
僕が不思議なのは、こういう感覚が500年の時を経ても変わってない、ということです。失礼ですが「レオ、なんで知ってるの?」という。
一度直接話をしてみたかった。たぶん、なんの説明もいらずに、なんの例えもいらずに、話ができるだろうと思う。「僕思うんですけど、闇の真の姿って光ですよね」「そうそう、闇という光ね」みたいな。
…同時代のやつらがうらやましい。
不遇はナイフのようなものだ。
刃をつかめば手を切るが、柄をつかめば役に立つ。
– ハーマン・メルヴィル(1819-1891, アメリカの作家)
ううむ、素晴らしい。
古いものを喜んではならない。
また、新しいものに魅惑されてはならない。
– ブッダ(生没年不詳, 仏教の開祖)
テクノロジーの発達という進捗とその弊害に悩む現代にこの言葉は鋭く響きますね。「なるほど」と思わずつぶやいてしまいました。
腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで数えよ。それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。
それでもだめなら千まで数えよ。
– トーマス・ジェファーソン(1743-1826, アメリカの政治家)
問題は、「怒りがおさまるまで数えられるか」ではなく、「数えようと思ったときにはすでに何か言っていた(していた)」ということだと思うのです。そして、「そのときすでに」という無自覚の行動こそ、人間の弱みだと思うのです。僕はこれを完全に、完・全・に・統率したい。その意味で「人間を超えた存在」になりたいと常々思っています。これは真面目な話、自分の人生で超える「べき」壁の一つだと捉えています。これを超えることができなければ、僕が生きた意味の一つはなくなることになるし、人の親になる資格もありません。
人間はみな、自分の見たいものしか見ようとしない。
– カエサル(BC100?-BC44, 古代ローマの政治家、軍人)
今でもそうですよ、と伝えたらカエサルさんは「マジかよ…」と言うのでしょうか。「やっぱり…」と言うのでしょうか。そこに興味がありますが、僕はたぶん後者だと思います。そのあたりの本質は見抜いている人でしょうね。
壁が横に倒れると、それは橋になる。
– アンジェラ・デービス『アンジェラ・デービス自伝』(1944-, アメリカの政治家)
なるほど。高ければ高いほど、遠くへ行けると。
つまり、これが死というものである。
ところで……
– 死の間際の言葉、カーライル(1795-1881, イギリスの評論家、思想家)
すげえ…。続きを聞きたい…。
今日が人生最後の日だとしても、
今日する予定のことをしたいと思うか?
「毎朝自問自答している。ノーの日が続くなら
人生の軌道修正をしなければならない」
– スティーブ・ジョブズ(1955-, アメリカの実業家、アップルCEO)
スティーブかっこよすぎ。
最初の一歩を踏み出しなさい。
階段全体を見る必要はない。
ただ、最初の一段を上りなさい。
– マーティン・ルーサー・キングJr(1929-1968, アメリカの牧師、活動家)
嫌でも目に入ってくる「階段全体」を無視することこそが一番難しいのではないでしょうか。おそらくは一段を上ることよりも。
私たちの問題は人間が生み出したもの。
従って、人間により解決できるのです。
人間社会の中で起こる問題の中で、人間を超えているものはありません。
– ジョン・F・ケネディ(1917-1963, 米国第35代大統領)
なんだかんだ言ったところで、人間のせいですものね。もっと踏み込めば、「自分のせい」。
真の道は一本の綱の上に通じている。その綱は空中に張られているのではなく、地面のすぐ上に張られている。
それは渡って歩くよりは、つまずかせるためのものであるようだ。
– フランツ・カフカ『罪・苦悩・希望・真実についての考察』(1883-1924, チェコの作家)
具体的に考えてみると、にやりとしてしまう味わい深い言葉です。
誰にも見られていないように踊れ。誰にも聞かれていないように歌え。恋をするときは、今まで傷ついたことなどないかのように振舞え。
そして、この世が天国であるかのように生きよ。
– マーク・トゥエイン(1835-1910, アメリカの作家)
何のために? おそらくは自由を得るために。
マイナスをプラスに、不幸を幸せに、涙を笑顔に。まかせておいてください。
– 坂本九(1941-1985, 昭和の歌手)
九さんになら「まかせた!」と言えるところですが、それとは別に「まかせる」ということについてそれはいいものかどうかふと考えてしまいます。自分の歴史上、「まかせた」と心から言ったことはないような気がする。下手したら口にしたことすらないかも…。九さん自身はどうだったんでしょうね。まかせられる人いたのかな。
生きるために食べろ、食べるために生きるな。
– ベンジャミン・フランクリン『プア・リチャードの暦』(1706-1790, アメリカの政治家、科学者)
この本で一番胸に突き刺さった言葉。
自分には「生きるために食べろ」の一言が大きかったです。「生きるために食べろ」ってあなた、「生きろ」っていうのは前提ですか!?みたいな…。生きるのは前提ですか。そうですか…。ちょっと衝撃的でした。
ところで今の時代、「生きるために」食べている人ってどのくらいいるんだろう。予想よりはずっと多いのかもしれない。
2 Responses
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HAL says:
先人は心に響く言葉を残しますね。
先般よりの短歌の勉強にて(何ら作っておりませんが。笑)
正岡子規の足跡を少し読んだりもしました。
非常に若くして亡くなったにも係らず老成した歌を詠んでおられます。
それはいつも病気との闘いの中で生まれた歌であり、
(いや、闘っていなかったかも。)悟りとは平気で死ぬことではない。
平気で生きていくことだ。この言葉が象徴しているような気もします。
子規によって現代短歌の石礎ができたわけで、古い世界のものを
蹴散らしていく勇気というものは、今まさに生きているという
ギリギリのところで培われたのでしょうか。「ただ最初の一段を上りなさい」というのは身につまされますね。
ちょいと頑張ってみましょうか? -
ichijo.nori says:
>> HALさん
なんだか今の私たちのために遺された言葉のような気がしますよね。
響く言葉にはどれにも大体、その深いところに一筋の通念があるようにも思えます。やはり新しいものを生み出していくのって怖いですよね。
僕の場合、打ち破っていく事はそれほど怖いというものではないのですが、(ふん、と思ってる事が多いから(笑)
自分の中に潜んでいるその未知なるものを素手で掴み取らなくてはならない、というのが。
自分自身が怖いんですね。その穴に呑み込まれそうで。
でもまずはそいつを穴から引きずり出さないと、その先の悟りは目にする事もできないのかな、と。階段の一段目とて、上ってみれば少しは景色変わりますよね、きっと。
棚の上のものが見えたり。
あ、埃…