幸福、自由、美徳。その重なりに生まれる「正義」のかたち
マイケル・サンデル著、「これからの『正義』の話をしよう」。
ずいぶん話題になっているようですね。NHK で「ハーバード白熱教室[nhk.or.jp]」という番組があり、そこから人気が出ているようです。私は番組を観たこともなく、この授業のことも知らなかったのですが、この本を発売前に知り興味がわいたので予約して読みました。きっかけは Twitter での早川書房[hayakawa-online.co.jp] さんのツイート[twitter.com]。
「面白い意見だ、君の名前は?」というのがサンデル教授の台詞のようで、これにとても惹かれた次第。
これが読んでみるとおもしろい!
難しい主題であるにも関わらず分かりやすい上に、非常に考え甲斐のある中身の濃い本でした。一度目は「あぁなるほど!」という発見的なおもしろさでしたが、二度目に読んだときは「ううむ、なるほど…」という感じです。
この本では分かりやすい身近な例から「正義」とは何か、その正義はなにを拠り所としたものか、その拠り所が行き渡ったとき生じうるメリットとデメリットは何か、そんなことを推察していきます。この推察の旅、サンデル教授曰く、「『正義』を探求する旅」がとてもおもしろい。
ところで「『正義』とはなにか?」という問いに向き合うと賢明な人は自然とこう答えることでしょう。
「『正義』とは結局のところ人それぞれではないか。もし『正義』を定義してしまうならば、それは価値観の押しつけにつながり、独善的なものになるのではないか」と。
まったくその通りです。しかし、この本がすごいなと思ったのはそんなことは当たり前の常識として、さらにその先を考えていることです。「正義」とは何か。それを考えるのは確かに新時代を考えることでもあるな、と思いました。
冒頭に出てくるひとつの例を引用します。僕が解釈した上でまとめたものですので読み違いがあるかもしれません。
二〇〇四年夏、メキシコ湾で発生したハリケーン・チャーリーは、猛烈な勢いを保ったままフロリダを横切って大西洋へ抜けた。二二人の命が奪われ、一一〇億ドルの被害が生じた。チャーリーは通過したあとに便乗値上げをめぐる論争まで残していった。
オーランドのあるガソリンスタンドでは、一袋二ドルの氷が一〇ドルで売られていた。八月の半ばだというのに電気が止まって冷蔵庫やエアコンが使えなかったため、多くの人びとは言い値で買うより仕方がなかった。木々が吹き倒れたせいで、チェーンソーや屋根修理の需要が増加した。家の屋根から二本の木を取り除くだけで、業者はなんと二万三〇〇〇ドルを要求した。小型の家庭用発電機を通常は二五〇ドルで売っている店が、ここぞとばかりに二〇〇〇ドルの値札をつけていた。老齢の夫と障害を持つ娘を連れて避難した七七歳の婦人は、いつもなら一晩四〇ドルのモーテルで一六〇ドルを請求された。第1章 正しいことをする Page.9
ここには便乗値上げをめぐる「正義」の論争が隠れています。
この本を通してサンデル教授は、「『正義』に関わる問題は三つの理念を中心に展開されることになる」と指摘します。その3つの理念というのは、「幸福」「自由」「美徳」です。
便乗値上げをめぐる論争を詳しく見てみれば、便乗値上げ禁止法への賛成論と反対論が三つの理念を中心に展開されていることがわかるだろう。つまり、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の促進である。これらの三つの理念はそれぞれ、正義に関して異なる考え方を提示している。
第1章 正しいことをする Page.13
便乗値上げ禁止法に反対する人びと、つまり便乗値上げは不正義ではないとする人びとの主張は、これら3つの理念のうち幸福が最大化されること、そして市場の自由を尊重するべきであるという論拠にあります。
便乗値上げにより供給能力が刺激されれば、ほどなくして供給量は増えていくことが予測できます。そのインセンティヴ(動機づけ)を便乗値上げは生産者や提供者に与えると。便乗値上げにより一部の人は購入できないかもしれない。しかしその不幸を上回る歓迎すべき効果があると。社会全体の満足の総和のためにはいくらかの個人の犠牲は致し方ない、というのが最大幸福原理、功利主義の考え方です(これについては第2章で掘り下げます)。
また何よりも市場の自然原理、つまり価値の高いものは値段が高くなる、その価格は政府ではなく各人が決めるべきだ、その自由を尊重するべきだという論拠をも持ち出すでしょう。元来、価格は需要と供給によって決まるものであり、「公正な価格」といったものは存在しないというわけです。この理念についてはリバタリアニズム、自由至上主義として第3章で取り上げられています。
一方、便乗値上げ禁止法に賛成する人びとはこれら2つの理念について別の見方をとります。
第一に、困っているときに請求される法外な値段が社会全体の幸福に資することはないと、彼らは主張する。高い価格のおかげで商品の供給が増えるというメリットがあるとしても、その価格では買えない人びとへの負担も考慮に入れなければならない。裕福な人びとにとって、嵐のさなかに高騰したガソリン代やモーテル代を支払うことは腹立たしいかもしれない。だが、つましい暮らしを送る人びとはこうした価格によって真の苦難を強いられることになる。(中略)
第二に、特定の状況下では、自由市場といっても本当に自由なわけではないと、彼らは主張する。クライストが指摘するように「切羽詰まった買い手に自由はない。安全な宿泊施設のような必要不可欠なものの購入に選択の余地はないのだ」。家族とともにハリケーンから避難している際、法外なガソリン代や宿泊費を支払うのは実際には自発的な取引ではない。それは強要に近い何かである。第1章 正しいことをする Page.13-14
このようにサンデル教授は対立する2つの見方を概観した上で「さらにもう一つの論点について考えてみる必要がある」と提起します。この先の分析、真の論点の見極め、知識を交えた推察の道筋がとても心地がいい。思わず「…にゃるほどーー!」とうなってしまいます(笑)。
多くの一般市民が便乗値上げ禁止法を支持するのは、幸福とか自由というより、もっと直感的な理由があるからだ。(中略)
とはいえ、便乗値上げに対する憤りは感情に任せた愚かな怒りなどではない。それは、真剣な検討に値する道徳的議論を指し示しているのだ。(中略)この種の憤りは不正義に対する怒りなのだ。(中略)
これは美徳をめぐる議論と呼んでいいだろう。第1章 正しいことをする Page.14-15
一方でこの美徳という理念にも反論はあります。
美徳をめぐる議論にとまどう人もいる。便乗値上げ禁止法を支持する人にもそういう人は多い。なぜなら、美徳をめぐる議論は幸福と自由に訴える議論よりも独善的に感じられるからだ。(中略)
なにが美徳でなにが悪徳かを判断するのは誰なのだろうか。多元的な社会の市民はそうしたことに反対するのではないだろうか。美徳に関する判断を法律によって押しつけるのは危険ではないだろうか。これらの懸念に直面すると、美徳とか悪徳とかいった問題について政府は中立であるべきだと、多くの人びとは考える。第1章 正しいことをする Page.15-16
サンデル教授はここに政治哲学の重要問題を示すジレンマが生まれる、と指摘します。
便乗値上げに関する議論に続き、パープルハート勲章(名誉負傷勲章)の受賞資格にまつわる議論、記憶に新しい金融危機に際して行われた企業救済にまつわる市民の怒りを例にとったあと、このように要約しています。
われわれはそうした問題をすでに考えはじめている。便乗値上げの是非、パープルハート勲章の受賞資格をめぐる対立、企業救済などについて考えながら、価値あるものの分配にアプローチする三つの観点を明らかにしてきた。つまり、幸福、自由、美徳である。これらの理念はそれぞれ、正義について異なる考え方を示している。
われわれの議論のいくつかには、幸福の最大化、自由の尊重、美徳の涵養といったことが何を意味するのかについて見解の相違が表れている。また別の議論には、これらの理念同士が衝突する場合にどうすべきかについて意見の対立が含まれている。政治哲学がこうした不一致をすっきりと解消することはありえない。だが、議論に具体的な形を与え、われわれが民主的市民として直面するさまざまな選択肢の道徳的意味をはっきりさせることはできる。第1章 正しいことをする Page.29
今まで自分の見解を分析することなどは多くの人が無意識のうちにもしていることでしょう。しかし、ここまで詰めて「議論に具体的な形を与え、われわれが民主的市民として直面するさまざまな選択肢の道徳的意味をはっきりとさせ」たことはなかったのではないでしょうか?
サンデル教授の講義、受けてみたいですねえ。今からハーバード行くのもちょっと大変でしょうから手軽にこの本であなた自身の「正義」を探求されてみてはいかがでしょうか?
その旅の終わり、第10章「正義と共通善」の中、335ページからの道程は感動を伴うものです。「共通善」、それがサンデル教授の提出するひとつの視点です。今までにその視点はなかったですねぇ。どんなものなのかは読んでのお楽しみ、ということで。
最後に僕の考えを含めると、第5章のカントに関連する一連の「義務としての道徳」に非常に興味を覚えます。それがどんなものなのかはここでは触れませんが、実に興味深い。
僕は思うのですが、「税」というのはまさにカントの示す「義務的道徳」ではないでしょうか? そう考えると税としての労働力の提供も成り立つわけです。最終章には「犠牲」と「奉仕」についても触れられていますが、公共サーヴィスの運営と提供をそれで賄おうとするのは、将来の社会、市民生活を支えるひとつの形になり得るのではないかと。サンデル教授の提案のひとつであるように富裕層は「公民的生活基盤の再構築」に投資(逆から見れば課税)し、加えて貧しい人びとはその運営に携わる。そこに市民コミュニティはより生まれやすいと思うのです。教授、どうですか?
「面白い意見だ、君の名前は?」
マイケル・サンデル著:これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学
ISBN: 978-4-15-209131-4
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