肉欲に負けました

一度は我慢したのですが、その衝撃が褪せることなく煩悩に刺激を与え続け、ついに耐え切れず手が出てしまいました。

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dancyu8月号・860YEN、第一級危険物に認定。この破壊力恐るべし。

dancyu 7月号 カレー&ビール特集

先日カレーを作りましたが、その翌日買い物帰りに本屋に立ち寄ると、なんとdancyuの最新号がカレー特集。

ビビりましたね。
これはもう、「カレーを作りなさい。そして極めなさい。」という天命で御座いましょう。
副特集のビールも幸せな記事ですよ。「焼き枝豆」はやってみようと思います。

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dancyu 7月号、860YENです。

  • Posted at 19:17 on Jun 24, 2006
  • | (Closed)

まず知ること、選択はそれから ― 食品の裏側

本屋でピックアップした本ですがこれはすごい。オススメです。

「食品の裏側 ― みんな大好きな食品添加物」

食品添加物を扱った本ですが、危険性を煽る今までの本とは違います。
まず明確にすべきなのは著者の狙いですが、食品添加物の実態を暴いて、その危険性を認識し、避けなさい―
そのようなこの類の書籍に見られがちな従来のスタンスではない、ということです。

著者自身は食品添加物の神、とまで言われた人物ですが、本書の目的は、食品添加物そのものだけでなく食品業界の実態をまず「知ること」、つまり食品の情報公開です。
そこから先は消費者個人が選ぶべき問題であり、まずは「実態」が明らかになるべきであろう、と。そして現状はそうではない。

その「実態」とは食品添加物と食品業界の内側なわけですが、この本には難しい化学名称を並べ立て、これこれにはこのような危険性が指摘されている、というものはありません。むしろ、食品添加物の恩恵にも何度となく注目しています。
商品の原材料名ラベルの裏側はこうなっているんですよ、というのが主なアプローチです。そして目的は、それを正しく知ってから選んでください、というもの。

食品添加物のない食べものを探し出し、それを日々の生活の中で続けるのは大変難しいもの。
ではどうすればよいのか。そんな現実的な視点が常にあります。そこに大変私は好感を持ちました。
読めば次の食事から食に対する見方に新たな視点が加わります。

ひとつ気になったのは、文中に出てくる(帯にもピックアップされている)、虫を原料とした着色料。
これはおそらくペルーなどで生産されているエンジムシだと思いますが、本書では「虫である」ということで注目させようとしている。「これは虫が原料の着色料なんですよ」と。
これは筋違いではないかと思いました。化学的な着色料ではない、天然のものなのに。この一点だけは本書の中で場違いな指摘を受けている気がします。
もしこの着色料を指摘するならば、それが「虫を原料としている」ことではなく、それを着色料にするまでの「加工過程」に目を向けるべきかと。(その加工過程では化学品が使われます。が、そのことには触れられていない。)
ちなみにエンジムシは、古代から衣料の染料などに使われ、現代では安全性を求める動きから天然材料を使う化粧品などに使われています。

そんなところはありながら、一貫して問題にすべきところを「危険性」ではなく「情報公開のされてなさ」にしているところが評価できます。
おすすめの一冊です。

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安部司 食品の裏側 ― みんな大好きな食品添加物

ただこれもまた帯がお粗末と言わざるを得ない。

「知れば怖くて食べられない!」

違うだろーーっ!!
編集者はちゃんとこの本を読んだのか? 問いたい。問い詰めたい。
序文に書かれている、
「私が主張したいのは、『添加物の情報公開』ということです。」
編集サイドもそういう著者の意向を尊重していただきたい。

上の帯の体裁でやるなら、

「なぜ、特売品は安いの!?」

が妥当かと。なぜ安いのでしょう? その答えはこの本の中に…。

「傷つかなくなることについて」

昨日はひきずることについて書きましたが、そのあとふとんの中で読んでいた、「これだけは、村上さんに言っておこう」(村上春樹)にこんなことが書かれていました。まさにぴったりなもので自分でもびっくり。

この本は、読者からのメールに春樹さん本人が返事を書く、という形式なのですが、春樹さんの返事の部分を紹介します。(P.96、質問140)

そのエッセイでは僕も偉そうなことを書きましたが、このトシになってもやはり人は傷つくものです。嫌なことつらいことはけっこうあります。そういうときには僕にはひとつのチェック・ポイントがあります。それは、
 <自分はこのことによって、誰か第三者を傷つけただろうか?>
ということです。もし自分しか傷ついていないのなら、それはラッキーだったんだと考えるようにします。というのは、自分のことなら自分でなんとか処理できるけれど、他人がからんだことはそんなに簡単には処理できないからです。
そういう風に考えていくと(あるいは考えようと努力していると)、少しずつ強くなっていけます。人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。

ちょっとこれを読んだときは言葉が出ませんでしたね。そうだ… そうだよな、と。
ちなみに、「そのエッセイ」というのは、「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」という本に収録されている、「傷つかなくなることについて」というエッセイです。

それを改めて読んでみたらびっくりでした。以前読んだのがいつだったか思い出せないけれど、前よりずっと心に響きました。そちらからも少し抜粋して紹介します。

この文章を読んでいる若い方の中には、いま同じような辛い思いをなさっておられる方もいらっしゃるかもしれない。こんなことで自分は、これからの人生を乗り越えていけるのだろうかと悩んでおられるかもしれない。でも大丈夫、それほど悩むことはない。歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものなのだ。(中略)
今では誰にどんなひどいことを言われても、友だちだと思っていた人に裏切られても、信頼して貸した金が戻ってこなくても、ある朝開いた新聞に「村上はノミの糞ほども才能がない」と書いてあっても(ありえないことではない)、そんなに傷つかない。もちろんマゾヒストじゃないからいい気持ちはしない。でもそれで深く落ち込んだり、何日もくよくよ思い悩んだりはしない。「しゃあない、そういうものなんだ」と思って、そのまま忘れてしまう。若いころにはそんなことはできなかった。忘れようと思っても簡単には忘れられなかった。(中略)
でも僕はそのときつくづく思った。精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの“傾向”であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の“権利”でもあるのだと。

だいたい自分でも気づいているのですが、(こういう面での鋭さはいいのか悪いのか…)やはり今まで誰かをがっかりさせたり、その気はまったくなくとも傷つけたことってかなりあると思います。
こればかりは本当に申し訳ないとしかいいようがありません。ごめんなさい。
もちろん言い分はあるし、誤解とかもあると思うのだけど、あえて弁解はしないです。

それに比べれば自分だけの問題というのは(問題の深刻さという意味では)単純なものですね。
春樹さんの言うように、
「たとえ傷ついても頭にきても、それをするりと飲み込んでキュウリみたいに涼しい顔をしているように心がけ」たいものです。

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村上春樹 「『これだけは、村上さんに言っておこう』と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?」

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村上春樹 「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」

「おいしいコーヒーをいれるために」 & 「lust」

ひさしぶりにAmazonで買い物。

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中川ちえ 「おいしいコーヒーをいれるために」

最近できたばかりのカフェで見つけた本。(コーヒー関係の本がたくさん置いてある。)
これいいな、欲しいな、と思って調べたら、2年前にAmazonのウィッシュリストに入れてありました(笑)。
堅苦しくなく、のんびりと読めます。写真もきれい。

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Rei Harakami 「lust」

J-Waveで流れて即チェックした作品。レイ ハラカミの「ラスト」。

これは名盤になると思う。すごくいい。すごく気持ちがいい。サウンドはエレクトリックです。テクノ要素あり。
テクノはアングラなテイストになりがちだけど、これはものすごくポップ。踊りたくなる。

これを聴きながら夜明けの海岸線をドライヴしたら気持ちいいだろうなぁ。
すごくオススメです。とりあえず自分はこっち系の音って大好き。夜明けに似合う音楽、最高です。

  • Posted at 20:56 on Aug 13, 2005
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