花火(とマンション)

昨夜8/1は神奈川新聞花火大会だったようです。音で気づきました。
大きく打ち上げられた花火のみ、私の部屋の窓からちょっとだけ見えます。

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電信柱の右に見えるのは横浜ランドマークタワー。

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どどーーん!

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毎年花火のたびに消したいと思われる不憫なマンション。

ではいってみよう。
マンションは脳内フィルタで消してください(笑)。

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日本の伝統美

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Pen No.190 特集:「いまこそ知りたい日本の伝統美。茶の湯デザイン」

発売時に購入、そのまま読まずに日が経ってしまったのですが、茶を点てたのを機に読むとこれが素晴らしい一冊。
茶の世界というのは本当に日本美、芸術美が凝縮されていますね。日本人でよかった。

本誌では茶室のデザインから茶碗、茶の道具、茶席菓子についても。「茶の湯」に関して分かりやすく触れられています。
バックナンバーはまだあるようですのでぜひチェックされてください。自分は永久保存版に認定。

  • Posted at 21:46 on Feb 03, 2007
  • | (Closed)

無我

先月号のFUDGEに掲載された高木正勝さんの言葉より。

何かを表現しようとして表現すると、いつも失敗してしまう。
散々悩み抜いても答えが見付からなかったり、何か別のものに衝撃を受けて頭が混乱してしまったり、もしくは、何となく「今だ」と勝手に思った時に、覚悟を決めて取りかかると、不意に新しい映像や音楽が生まれる。
自分がいなくなってしまった様な、何か大きな波に乗っかった気分になる。
そんな時に、本当に良い表現や作品が生まれる。

手を動かせば、メロディーや色は幾らでも出てくるけれど、本当に作品として残したい部分、人に伝えたい部分というのは、実は、その瞬間そのものなのかもしれない。
そこには、自分というものは、あまり存在していない気がする。存在してはいけない気がする。
表現者と周りから言われる立場にあるのに矛盾した話だけれど、自分が表現するものに自分が存在してはいけない気がする。
何か別の、もっと大きなものに触れて。
それを残したいし伝えられる形にしたい。

まさにそうなんだよなぁ。
本当に人を感動させるもの、ってジャンルは関係なく、創っている本人はその瞬間、どこかに行っているような気がする。
「神懸る」という表現があるけれど、まさにあの瞬間はなにかが降りてる。

その時、自分は存在してはいけない?。
まさにその通りです。

  • Posted at 18:24 on Dec 10, 2006
  • | (Closed)