僕は思う。
「歳をとる」というのはどういうことなのか、と。
女性の髪美容事情についての新聞記事に関連して母と話していて出た話題なんですが、「歳はとりたくない」とよく人は言うけれど、それは「歳をとりたくない」んではなくて、「老化したくない」んだ、歳はとって老化はしなければいいんだという話になった。
つまり、歳をとることと老化することは、意義的にまったくの別問題だ。
「歳をとる」というところには成長していくことや、多くのことを経験していくといったポジティヴでアクティヴな印象を受ける。器が大きくなる、というニュアンスに近い。
僕は以前からYMOが好きだと公言しているけど、おそらく70~80年代のYMOより、今のYMO(HAS、HASYMO)のほうが好きなんだと思う。
最近彼らがよくインタヴューで言っているのが、「歳をとった」ということ。
「結局のところ、なんでこう変わったのかというと歳とったんですよね」、そんなことをいろんな場面で耳にし、目にする。
彼らは歳をとった。僕とは30歳くらい違う。
でも彼らは老化しているだろうか? 細胞レヴェルではいくつかは老化しているかもしれない。でも彼らの存在は老化していない。
彼らの音楽は、ものすごくみずみずしい。愛ややさしさが溢れている。音によって人を分かつのではなく、受容している。陽射しとおなじように。雨とおなじように。風とおなじように。
髪の話に戻すと、僕は白髪が好きだ。白髪が欲しい。なりたい。かっこいい。
白髪を振り乱しながらクラブでDJするのってかっこよくない? ブラックライトに白髪が輝くわけです。いいなぁ。
歳はとりにいきたい。とらされるのではなく。
この記事、なんなのかというとHASYMOのレヴュー記事なんです。一応。
HASYMO “RESCUE | RYDEEN 79/07”