アーティストとは

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二十代も後半戦に突入しました。より自分にシヴィアに当たっていく所存。
いい意味でもうちょっと攻撃的になろうかと思ってます。「考える前に飛べっ!」みたいな。

さてそんな中、こんな言葉を見つけました。「そうだよな」と共感する部分があったので紹介。
雑誌 “FUDGE” でコラム “Life never ever like before” を連載されている高木正勝さんの言葉。

「アーティスト」
アーティストとは、受けとるべきものを、持てる感性で受け取り、持てる技術でそれを形に変え、他人に伝達できる人間。才能とは、受けとるべき何かがやって来た時、それを感じ、つかまえる事が出来る精神的、肉体的な体力。(中略)
いわゆる芸術家だけが、アーティストだとは 思っていない。目には見えない、耳には聞こえない、その受け取るべき何かを感じて人に伝える事が出来たなら、(中略)絵画や音楽のような芸術でなくても、それは美しいに違いない。

「個性」
「個性的であろう」とする事は、重要な事ではない。個性は生きていれば自然に生まれる。生まれも育ちも、見聞きした事、感じた事も、そして望むものも違う筈。ただ、過去に感じて来た感情にきちんと向き合うか向き合わないかで、個性は大きく変化する。魅力的な個性にもなれば、疎ましい個性にもなる。

ふむ、その通り。だと私も思います。
アーティストとは結局、「自分が受け取るべきなにか」をちゃんと感じ、それを自分というフィルタを通して外の世界にいわば再出荷できる人間、私はそう思っています。
そう考えると、別に何か作品を創っている人間だけがアーティストなのではなく、誰でもアーティストになりうるのではないかと。
つまり「アーティスト」というのはなにを生み出しているかとか、どんな才能を持っているかとか、まして技術などではなく、「生き方」ではないかと。
ただその「生き方」を選ぶなら(ときに選ばざるを得ない)、そこには日々自分の感性を磨き上げ、ときには守ることが必要になる。そして人によって感性の幅があるのも事実。

これを読んで、以前に当ブログでも触れた、銅版画家・長谷川潔さんの言葉を思い出しました。

さて、と。折り返したことだし後半戦、そろそろ行きますか!!

外国語

自分にとってはまったく読めない言語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語などに少し触れたあと、英語に戻るとめちゃくちゃ分かりやすいと感じますね。
ムスカではないが、「読める… 読めるぞ…!」という気分です。

“unavailable”(利用できない)、って単語が出てきて試しに口に出してみたけど、舌が回りませんでした。orz
ェネヴェレベゥ、みたいになるのかなぁ。

USのYahoo!サイトでIDを取ったのですが、業種に”Aerospace”、航空宇宙関係が選択肢にあるのがびっくり。すごいなぁ。

ともあれ、外国語に短時間でも触れると頭の普段使わない部分を使うのでなかなか楽しいです。

気に入った一文

昨日紹介した、「ダ・ヴィンチ・コード」と「対岸の彼女」にて特に気に入った一文を紹介します。

まずは「ダ・ヴィンチ・コード」より。

歴史はつねに勝者によって記されるということだ。ふたつの文化が衝突して、一方が敗れ去ると、勝った側は歴史書を書き著す。(中略)
ナポレオンはこう言っている。“歴史とは、合意の上に成り立つ作り話にほかならない”と。(中略)
本来、歴史は一方的にしか記述できない。

この一文を読んだときは、なんだかうれしかったですね。「そうだよ、その通りだよ!」と。というのは、自分も子どもの頃から同じ疑念を歴史に対して抱いていたからです。歴史なんて結局、「信じるか、信じないか」の世界ではないかと。
その歴史が本当に真実なのかなんて目の前で再現するしかないわけで、(そしてそれは不可能なので)そう考えていくと歴史にあまり魅力は感じなかったのです。
そのせいもあって中学・高校と歴史は苦手でした。まったく「知りたい」という欲求が出てこなかった。それよりも理科の原子記号を覚えるほうが楽しかったタイプ。

続いて、「対岸の彼女」にて衝撃的だった一文。

ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、
ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、
うんと大事な気が、今になってするんだよね。

ぐっときます、これは。本を読むとなお、この一文の重みが伝わりますよ。

ちなみに読み終わってから気づいたのですが、出版社の売り文句が、「勝ち犬・負け犬」などをキーワードにしていますがそんなものは一切小説には出てこないのでご安心ください。
読んでてもそんな対立はなかったですよ。勝ち負けなんて。この紹介文を選んだ編集者もどうかと思う。

自分だったらこんな感じで。

「どこへも行けなかった」―。
私たちはなんのために歳を重ねるんだろう。
それぞれ生きる女たちが輝く川面で交差する。
対岸を結ぶ橋まで、もうすぐだ。

アーティスト 一条ノリユキ

文藝春秋さん、採用していただけませんかね?(笑)

銅版画家 長谷川潔展

横浜美術館で明日(3/26)まで開かれている、長谷川潔展に行ってきました。

若くして渡仏し(死ぬまでフランスに居を定めていたよう)、日本より海外で絶大な評価を得た銅版画家。
フランス国内を旅しつつ作品を創り、銅版画の新たな世界を切り開いたアーティストです。ちなみに横浜市出身。

作品を見るとき、どうしても創った時期(何歳のときの作品か)が気になってしまいました。「ああ、俺と同じ24歳でこれを描いたのか…」とか。
比べる必要はないのですが、どうしても自分と重ねてしまいます。そして、年齢を追うごとの作風の変化も興味深かった。

彼の作品は、今回初めて見たのですが、異国の地に身を定めてはいても、その創りだす世界には、いわゆる「和」がしっかりと息づいていて、その研ぎ澄まされた華美に驚きました。そして彼の作品にはユーモアもある。

彼の遺した言葉を紹介します。

地球上の目に見える世界をとおさないと、
見えない世界にはいっていくことはできない。
しかし、見える世界のほうがはるかに小さい。
これを私は静物画に描く。

―『白昼に神を視る』より

アーティストって分野は違えど、本質の部分では同じなんだなぁ、と驚いた次第。なんか励まされます。

それにしても美術館に行くたび、無性に絵が描きたくなります。結構感化されやすいので…。こういう刺激って大好き。
自分もパリに行こうかなぁ。夢は果てしなく。

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  • Posted at 22:58 on Mar 25, 2006
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「うむ…」とうなってしまう言葉

連日オリンピックで闘いが繰り広げられていますが、それに関連したネット掲示板に書かれていた言葉。あまりにも説得力のある言葉だったので紹介。

「よっぽどの天才でない限り、練習で100の力なら本番で70しか出ない」
と言っていた学生時代の陸上部の先輩の言葉を思い出す

うむ… そのとおりだ…。含蓄のある言葉です。

  • Posted at 22:18 on Feb 14, 2006
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