蝉と家守と黄金虫と

油蝉の羽化
油蝉の羽化。

この夏、我が家ではいつにもまして生き物が元気でした。まずは油蝉。こんなに出てきたのは初めてですね。2度も羽化を目に出来たのは僥倖でした。

蝉の羽化の美 : *n.on.log – August 14th, 2012

家守の子ども
家守の子ども。

家守(ヤモリ)はその名の通り家を守ってくれる生き物。大好きですが、今夏は子どもをたくさん目にしました。それも家の中で(笑)。どこからか入ってくるんですね。外に出しても翌日にはまた入ってきて(同じ子かは分からないが子ども)、どうも家の中の居心地が良いようです。餌となる虫がいっぱいいるって事でしょうか。大きさからして去年生まれた家守なのかなぁ。
夜になると大人家守が2階の窓に張り付いて、明かりに寄せられてくる虫を狙っていました。毎晩コツコツという当たる音が聞こえていました。

黄金虫もたくさん
黄金虫もたくさん見ました。これは「アオドウガネ」という名前みたいです。なんとも美しい緑。たまらんですね。

  • Posted at 20:42 on Sep 30, 2012
  • | (Closed)

2012 夏空

2012年8月13日
2012年8月13日。

この夏は雲が印象的でした。

2012年8月13日
これも2012年8月13日。GR DIGITAL III にて。

天衣
天衣。8月22日。

月と飛行機
8月27日。雲が流れていて昼の朧月。図らずも飛行機が飛んできてくれました。

2012年8月のブルームーン
2012年8月のブルームーン(ひと月に2回満月がある場合の、2回目の満月を俗にブルームーンと呼ぶ)。8月31日でした。次回は2015年の7月。

ただ、この「ブルームーン」というのも元々は「春分・夏至・秋分・冬至」によって季節を分けた場合に「それぞれの3ヵ月中に4回満月があるときの3番目の満月」をブルームーンと呼んだそうです。ひと月に2回ある場合、というのは誤解から広まった説だそうな。(cf. ブルームーン – Wikipedia[wikipedia.org])

夏の終わり
夏の終わり。2012年9月27日。

「あ、今日で季節が変わったな」と思わせる日があります。この夏の終わりを実感したのは9月22日でした。

フォトログにも。
2012 夏空 : *n.on.sight

  • Posted at 20:27 on Sep 30, 2012
  • | (Closed)

スーの髪を短くした

Before
Before.

After
After.

耳の毛なのですが髪ということで。
夏場は耳の内側が蒸れるので毛を短くしようという案が毎年出るものの結局切らずにそのまま過ごしていますが、今年は切ってみました。
耳自体は小さく、パフみたいなものなのですが、いきなりそこまで短くしてしまうのもあれだということで4センチくらい切っただけ。内側の毛はバリカンでいくらか落としたので通気性は良くなったはず。
なかなかかっこいいです。

切った直後は違和感があったみたい
切った直後は本人も違和感があったみたいでしきりに気にしていました。

  • Posted at 22:12 on Aug 14, 2012
  • | (Closed)

20120720.31

2012年7月20日の空
2012年7月20日の空。
今年の誕生日は夏らしくない陽気でした。20日から今日22日にかけて雨が時折ぱらつき、ずいぶん涼しいです。
31歳なわけですがアイスクリームのサーティワンでは割引とかあるのでしょうか?(笑)

とりあえず一年に一日だけ自分をリリースすることにしている誕生日はゆったり過ごしたので、また心機一転これからの一年淡々と、地道にいきたいです。

デンファレ
HAL さん[fc2.com] からはなんと誕生日のお祝いまでいただいちゃいました。ありがとうございますー! デンファレ、かわいい。

最近の心境ということで一編。

風の途切れる音を聞けぬまま
気づかぬまま野露に揺らめく夜の帳

この世には見逃してしまうものが多すぎる

鉢植えの土はある時ふと乾き
ある朝ふと咲く苦瓜の花

この世には見逃してしまうものが多すぎる

いつの間に 蝶が飛び 雲は溶け
空蝉が夏を呼ぶ 現(うつつ)のままに

この世には見逃してしまうものが多すぎる

もっとゆっくり暮らしたいなぁ、と思う今日この頃。
そういえば今日、今年初めての蝉が鳴きました。夏ですねぇ。

この切り返しは使える…!

日経新聞、2011年8月4日朝刊の「春秋」がかなり笑えたので掲載。

日経新聞、2011年8月4日朝刊の「春秋」

中学生の男の子が、夏休みの宿題になかなか手をつけない。部屋でゲームばかりしている。しびれを切らせて母親が問う。「いったい、いつになったらやめるの」。子供は涼しい顔だ。「一定のメドがついたらやめます」。実話である。
▼ただでさえ節電で暑い夏。母親はイライラが募るだろう。「一定のメドって何なの」と聞けば、「動きを注視していきます」。頭にきて「そんなだらしがないことでは駄目な大人になるよ!」としかると「私の価値なんかどうでもいいんです」と、しょげてみせる。機転の利く子供のようだから心配はなさそうだ。
▼震災の直後は、人々の言葉に重みがあった。小さな子供たちが「昨日は電車を一生懸命走らせてくれてありがとう」と言い、駅員は泣いた。つぶれた家から奇跡的に助け出された老人は「また再建しましょう」と笑顔で語った。大変だったことを聞かれたレスキュー隊の隊長は「それは隊員です」と声を震わせた。
▼思い出してほしい。つながらない電話をかけつづけ、絞り出す思いで伝えた「一言」が誰にもあったはずだ。生死が頭をよぎるとき、人は自然に言葉を大切にし、短い言葉にも愛や責任が宿る。わずか5ヵ月の間に、この国の言葉はどこへ行ってしまったのか。人の命がかかわる状況は、いまも変わってはいない。

日経新聞、2011年8月4日朝刊の「春秋」より。

久しぶりに声上げて大笑いしました。僕も使わせてもらいますわ(笑)。

昔は「記憶に御座いません」[#1]とかもありましたね。1976年だそうですが便利な返しなのでたまに使います。最近だと「想定外」[#2]でしょうか。
政治家や実業家にとどまらず、今や一般人もこのくらい図太くないと生き残れないですね。

  • Posted at 22:13 on Aug 07, 2011
  • | (Closed)