「自己」に寄り添うことが「らしさ」を再創造する

この一年ほどでしょうか、「草食系男子」という言葉を目にするようになりました。個人的経験則として「~男子」「~女子」という造語にろくなものはないので調べもせず「ヴェジタリアンが流行ってるのか?まぁロハスとかも流行ってるしね」と思っていたのですがどうやら違うらしい。
先日読んだ雑誌、「Courrie Japon」8月号にこんな説明がありました。

オオタニ・タクヤは、米国の名門ビジネス・スクールでMBAを取得することに憧れている。だが彼は、来年東京の大学を卒業したら、米国ではなく日本の大学院に進学するつもりだ。
「僕は草食系なんです」とオオタニは物憂げに言う。“草食系”とは、ストレスを避け、リスクを管理し、庭先の草を食んで満足しているような人を指す流行の表現だ。

Courrie Japon8月号「世界が見たNIPPON」
ハーバード入学者がたった1人に…留学を目指さなくなった若者たち(ワシントン・ポスト)

なるほど…と思っていたら母から「あなたのことを思い出した」と新聞の切り抜き。そのものずばり“草食系”について書かれていてなかなか良いコラムだったので掲載。(同じ経緯のCreative Classについてはこちら

題は、「『男らしさ』からの解放」。

日経新聞2010年7月6日「『男らしさ』からの解放」
日経新聞2010年7月6日「『男らしさ』からの解放」

あ、これ俺だわ。というか時代がやっと自分に追いついてきたんだ(笑)。

冗談はさておき、僕が思うにこういう人、今でこそ「草食系男子」などと表現される人は昔もいたと思うのです。料理が好きで、手芸が好きで、花が好きで、身の回りのことは自分で楽しみながらやり…といった。
でも時代の価値観とかタイミングによって埋もれていた。こうして雑誌や新聞に取り上げられることもなく、ひとつの生き方として紹介されることもなく、せいぜいが「女々しい」とか「男なのに」とか言われるのが関の山。現に僕も言われてきました。
でも僕にもし「才能」と呼ばれるものがあったとしたら、それは「自分の価値観を曲げない」ことでしょうね。誰に何と言われようと、冷やかされようと、女子に馬鹿にされようと、自分の価値観は偽らなかった。だから正直、「草食系?ハァ?今更何言ってんの?キャベツでも食ってろ」という感じなのですが(笑)、こういうのがそこそこ広く受け入れられるようになって、そういう価値観を持つ若者がイレギュラーな人種として嘲笑の的にならないならいいことだと思います。そんなつまらない人の評価で自己否定の思いをする事なんてないですからね。

そしてもっと深く考えてみると、この時代にこういうのが出てきたのは必然だとも思います。現代は「世界が狭くなった」と表現されるように自分の影響範囲(授受問わず)は拡散の一途を辿っているわけですが、そうすると重力と同じようによほど「自己」をしっかり保っていないと膨張の力に負けてバラバラになってしまいます。
「自分の居場所がない」というのも「居場所がない」というより「自分がいない」という感覚がより近いのではないでしょうか? 自分が何者なのか分からないんですよね。もしその先まで行ってしまったらもうアウト・オブ・コントロール。悲劇を覚悟しないといけないかもしれません。僕もその先へ行ってしまったことのある人間なのでそこがどういう世界なのか僕なりに分かります。
自己を自覚する代わりに周りの流れに乗れればそれでもいいのですが、それにしては今の流れは命をも奪いかねない激流。それに身を委ねよというのも「冗談は小説だけにしてくれ」と言いたくもなるでしょう。流れに乗れなかったら「負け」とか勝手に判定される時代ですしね。(そもそも勝負などした覚えはないぞ!)

こう考えると、人間の本能として自己に向かうのは当然の流れに思います。自分を引き裂こうとする力に文字通り必死に抵抗する圧力が自分の奥深くへかかっていく。そうなれば「自分らしさとはなにか?」という問いが生まれるのも当たり前。以前と違う点があるとすれば、今やこの問いは人生の「オプション」ではないこと。生死に関わる回答必須な問いであることです。

つまり、この時代になって自己主張する人が増えたのではなく、逆だと思います。
時代が「自己」を引き出させたんです。「お前は誰だ?」と。「お前らしさとは何か?」と。世界は常に問いかけ続ける。生き残るためには僕らは答えなくてはならない。「自分はこうだ」と。
「自己」に寄り添い、「らしさ」を再創造する。何のために?と言われれば「生きるために」なんですね。

要するに僕が言いたいのは、“草食系”などと言われても、僕らが向かおうとしているその先、目標への執念。自分と向き合い、対話し、見極めようとする姿勢。それらはある意味ではとても攻撃的だということです。
「穏やか」?「目の前の状況に満足」?ふん、寝言は寝て言ってくれよ、ベイビー。

静かなる闘い。
願わくば同士のそれぞれに、決して見捨てなかったその人だけの悟りがこの先の未来のどこかで待っていてくれますように。そしていつか本当の穏やかな朝を迎えられますように。グッドラック!
…まったく楽じゃないよな!!(と同意を求める

  • Posted at 02:54 on Jul 13, 2010
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初・サンセベリアの花

サンセベリアの花
初めてサンセベリアの花が咲きました。サンセベリアは観葉植物コーナーにはだいたい置いてあるようになりましたね。(cf. Wikipedia
うちでも一鉢だけ買って例の如く出窓で育てていたのですが、じゃんじゃん芽が出ては株分けし、今では家の色んなところにも出張してもらってます(笑)。
丈夫で手間も少なく済むよくできた子ですね、サンセベリア。

蕾
株の中心部から葉が出て伸びていくのですが、この春、葉とはちょっと違うものが顔を出していました。もしかして花芽?と思ったらビンゴ。これがどんどん伸びていって、すかすかで背の高いヒヤシンスのような花の房ができます。

ひとつの花
ひとつの花。種類によって花も違うと思いますが、うちのはこのようなクリーム色の花でした。香りはよく分からなかったです。

蕾の房
蕾の房。

咲き終わり頃
咲き終わり頃。満開のところを撮れなかったのですが、全部咲いたときの雰囲気は伝わるかな? とても上品で、華やかでありながらも静かに馴染む、とても雰囲気のいい花です。

僕も適当に育てているのでコツというのはよく分からないんですが、多肉植物なので一般論通り水は控えめに。控えめにというと枯らす方がおられますが、それはあげなさすぎ(笑)。
環境はもちろんのこと鉢によっても土の乾き方は違うので難しいですが、うーん、見極めはまず土の表面をカリカリに乾かすこと。慣れないうちはその状態で土の表面を指でなぞってみてください。少し土の表面を削ったとき、中も「そこそこ乾いていたら(≠カリカリ)」水をたっぷりあげます。表面が乾いてから数日おいた状態ですね。

大事なのは、「日にちを決めて水をあげないこと!!」
気温も湿度も日照時間も毎日違います。もっと言えば日々成長していますから水の吸い具合だって違うはず。だから「乾いてから何日目」とか世話の日程を決めるのは意味ないです。とにかく都度観察して何をするか判断します。
パスタのアルデンテと同じです。おおよその目安までは時間を計っても、肝心のアルデンテはちょくちょく囓りながら判断しますよね、それこそ数秒おきに。そして「今だ!」という時を狙います。味見もしないで言われたとおりの時間で引き上げたパスタなんてイタリア人きっと怒ります。(いや、分からないけど)

あとはもう手探りです。毎日顔を合わせていれば、だんだんちょっとした変化にも気づけるようになります。葉の根元近くにしわのようなものが出ていたら水不足だな、とかね。そうしたらしばらく水あげのペースを上げればOK。
最初にも書いたように、基本丈夫な植物だと思うのでおすすめです。陽はカンカン照りでも大丈夫そう。

Rainy day in Akihabara

秋葉原駅を出て電気街方面を臨む
秋葉原駅を出て電気街方面を臨んで。5月23日に行ったときの写真。雨降りでした。

中央通り
中央通り。

PCパーツショップ密集通り
PCパーツショップ密集通り。本当はなんていう通りなんだろう。アキバで買い物するときはこの辺をうろうろしてます。

  • Posted at 02:58 on Jul 05, 2010
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庭の花々 2010初夏

時計草
時計草。果物で「パッションフルーツ」というのがありますが、その花ですね。ただ、食用になるのは時計草の中でも特定の品種で、花は黄白色だった気がします。
ちなみに「時計草」という名はその通り時計に見立てた故のものですが、「パッションフルーツ」の方はキリストの受難(=passion)からです。花の雄しべや雌しべの関連をキリストの使徒なども含めた物語に重ねているんです。Wikipediaにも詳しく書かれていたのでぜひどうぞ。おもしろいですよ。

ドクダミ
ドクダミ。ひっそり感がお気に入りの一枚。

クジャクサボテン
今年もクジャクサボテンが咲いてくれました。蕾がたっくさんついたけど、咲いたのは4輪かな? 華やかですねえ。いい色。

南天の花
南天の花。可愛くて好きな花です。蕾はお米粒みたいで、咲くと橙色が中から姿を現します。小さくてよく観察したことないんだけど、あれは花びらなのかなあ。

紅葉の種
このあいだ載せた紅葉の種。大きく、固くなってきました。「未来への羽根」から「未来への翼」になったという感じでしょうか。

ねむの木
ねむの木。オジギソウは触ると葉が閉じますが、ねむの木は陽が暮れると閉じます。それが「眠る」ようだからねむの木。花もピンク色のふわふわでとても綺麗ですよ(Wikipedia)。今年はちょっと咲きそうにないんですけどね。