世界らん展2010

極淡いピンクで可憐
極淡いピンクで可憐。

今年もらん展に行ってきました。開催3日目の2/16。まだ花も元気でした。花を綺麗に咲かすのも難しいですが、開催日に合わせるのも難しいでしょうね。
うちでも咲きましたが1月末~2月始めが見頃でした。うちのはまた別に載せたいと思います。

虎柄
虎柄の蘭。

Read the rest of this entry »

庭の花々 2010初春

クリスマスローズ
クリスマスローズ。

クリスマスローズ
地植えにしているのですが、下を向いて咲くのでなかなか花を見ることが出来ません。切り花にして楽しんでいます。

ゼラニウム
ゼラニウム。

フリージアの葉
今月のカレンダーに使ったもの。何に見えるでしょう? 実はフリージアの葉です。韮にも見えますね(笑)

蘭の実
これは名前が分からないのですが、蘭(たぶん)の実。年々たくさん実るようになってきました。

宝石みたい
宝石みたいな色と艶。
でもM&M’Sにも入っていたような…。

季節のものはできるだけその季節に食べたいのだけど

帆立貝柱のバター醤油焼き
帆立貝柱のバター醤油焼き。
これはボイル済みの帆立を買って焼いただけ。焼いていると油(バター)が跳ねるので気をつけて。醤油は帆立に焦げ目がついてから仕上げにジュワーッとします。最後に青のりを散らすと風味がより豊かになっていいですよ。

最近は季節の食材はできるだけその季節に食べるようにしています。分かりやすくいえば夏野菜は今は控える、ということですね。南半球産のものならいいのかというと、それもフードマイレージの関係でできるだけ買わないようにしています。
ところがこれがものすごく難しい。野菜なんてどれでもいつでも使えるものという5W1Hを完全に無視した消費習慣が身についてしまっている上、挙げ句の果てには「そもそもその旬がいつか分からない」ことが多い。「アスパラガスの旬は?」とか言われても想像でしか答えられません。えーっと、たぶん夏くらい?
普段食べているものの「本当の食べ時」が分からないって、一生物としてはかなりまずいんじゃないかと思うのです。根拠は全くないけど、生存本能的な感覚が鈍ってそう。「食べるべき時・物」が分からないと言うことは「食べざる時・物」も分からないことではないかと。
そんなことを思っている次第。でも実践するのは難しいのですけどね。あぁ、ズッキーニ食いてえ。

ネギトロ
何度か載せていますが、ネギトロ。
鮪(マグロ)は「ネギトロ用」になっているものは使いません。なぜならあれにはサラダオイルが加えられているものが多いから。トロもどきです。
自分流のネギトロは赤身の切り落としとか、ぶつ切りといった比較的安価なものを買ってきて、まずは小間切れに切り、荒く叩いて終わり。鮪はその名の通り「トロ」でもいいですが赤身でも十分美味しいです。むしろ赤身の方が透き通ったルビーのように綺麗すぎなのでおすすめ! たっぷりのネギと(鮪と同量が基本で多少調整はお好みで)、海苔、ワサビ醤油と混ぜ混ぜしてどうぞ。

水菜炒め
水菜炒め。ソーセージが余っていたので加えました。これはオイスターソース炒めですが、味は好きなのでいいと思います。カレー風味とかでもいいでしょうね。
水菜はこれは一束(スーパーなどでパックになっているもの)ですが、火が加わると信じられないくらいかさが減ります。2束とか使っても全然OKだと思います。
水菜にはあっという間に火が通るので最後の仕上げに入れて炒めてください。少しシャキシャキ感を残すと食感も楽しいと思います。

鯛とモッツァレラのサラダ
鯛とモッツァレラのサラダ。
モッツァレラチーズは薄切りにし、鯛も食べやすい大きさに切ってチーズに載せます。塩漬けブラックオリーヴを粗みじんにし散らします。ハーブ岩塩などを振り、オリーヴオイルを仕上げに回しかけます。かなりうまいです。
写真の葉物は人参のヘタを水につけておいて伸びたものを。そういうなにか緑があると彩り華やかで美しいですね。それにしても鯛の桜色は素敵です。

あったか雪だるま
あったか雪だるま。
冬はお風呂に蜜柑を湯船に浮かべて「温泉蜜柑」を食べるのが好きです。焼き蜜柑とか蜜柑鍋とかもあるそうです。

  • Posted at 05:37 on Feb 17, 2010
  • | (Closed)

シクラメンの蕾は雨傘にしか見えない

シクラメンの蕾
シクラメンの蕾が子どもの頃から好きです。固い蕾といい、開きかけの蕾といい雨傘にそっくり。シクラメンの蕾をモティーフにした雨傘を作ったら最高にかっこいいと思うのですが。シクランブレラ。Cyclumbrella。誰か僕の名前で商標登録しといて!!(ぉぃ
# 真面目な話、商標登録って誰でも出来るものなの? マイ脳味噌には多すぎて忘れるくらいに他にも色々々々商品アイディアはあるのですが。挟み跡の残らない洗濯ばさみとか。あ、これは特許か。

雫を撮るのが以前から好きで雨上がりにはよく庭で撮るのですが、家の中に雨は降らないので屋内で育てている花の雫写真は撮れないわけです。ところが、素敵な花写真を撮られるastyさんは屋内の場合は霧吹きを使って雫写真を撮るそう。なるほど!そばに水分補給に霧吹きを置いてあるのに気づかなかった!
というわけで早速やってみました。

もう完全に雨傘にしか見えない
うん、もう完全に雨傘にしか見えない。
いやー、でも霧吹きで綺麗に雫を作るのって難しいですね。astyさんのおっしゃるように確かに本物の雨上がりに出来た雫とは全然違います。粒の大きさも、透明度も違う気がする。水道水と雨水(+外気や塵)では微妙に屈折度とかも違うのかもしれません。

もう一輪
雫の中に、もう一輪。

雫の向こう側
自分にとって雫の魅力はもう一個の世界が見れること。
「不思議の国のアリス」のアリスは姉とのピクニック中に眠ってしまいあっちの世界にいってしまう話だったかと思いますが、自分的にはきっと花の雫を見つめてて眠ってしまったのだろうと思ってます。

植物を育てている出窓
植物を育てている出窓。蘭は今年も咲いてくれました。

  • Posted at 04:55 on Feb 17, 2010
  • | (Closed)

生むべき宿命と、生まれるべき宿命

「あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある。」
「あなたが生まれなければ、
この世に生まれなかったものがある。」

昨年の9月に東横線車内で目に留まった広告。
いい広告だと思います。励みになる言葉ではないでしょうか。

ものづくりや芸術方面を生業にしていると、「好きなことを仕事にできていいですね」というような意味合いのことを言われることがあります。確かにそれも一理はあるので「そうですね」と返すことが多いのですが、しっかり考えると「そう簡単な話でもないんですけどね」というのが正直なところです。(笑)

厳密に言えば、「したいから」「好きだから」やっているわけではないのです。
「作らねばならない」「生み出さねばならない」、言ってみれば「責任」なのです。

背負ってしまった以上、生み出す使命がある。それを放棄しては自分が生きている申し開きができない。そういう意識でやっている人が多いのではないでしょうか。(実際にそういう話を誰かとすることはないので分かりませんが。。。)

生むべき宿命。
自分の中には生を受けた「生まれるべき宿命」の子がいる。
「作品」を「子どものよう」と表現しますが、そうではないです。「子ども」なんです。

それは確かに偽りなく「素晴らしいこと」であるのですが、「ものすごく、しんどい」ことでもあります。自分の身を削る以上の痛みを伴う人生。
経験者だから言えますが、実際に身を削るのはこれに比べれば痛みなどないようなものです。身を削る程度、テレビ見ながら耳かきしているようなものです。

だから僕が伝えたいのは、自分の中に「生むべき存在」があるなら、絶対に生んでください。自分も絶対に生み出します。(もっと深いレヴェルの話をすれば、全ての人に「生むべき存在」があるのですが。)
そこから逃げることは出来ません。背負ってしまったものなのです。「ああ、自分は“そう”なんだ…」と諦めてください。><

そんなことを思った車内広告でした。同じ広告を僕Verで作るとすれば、

「あなたはそれを、
生み出さねばならない。」

「ハァ?」とか言われそうですね。(笑)