花火大会
神奈川新聞花火大会へ行ってきました。
特設の観覧会場(有料)に行ったので、椅子に座りながらビール飲みつつのんびり観覧。天候もベスト条件で最高でした。
神奈川新聞花火大会へ行ってきました。
特設の観覧会場(有料)に行ったので、椅子に座りながらビール飲みつつのんびり観覧。天候もベスト条件で最高でした。
まずはこの写真を。
そう、最近増えている、電車の女性専用車両です。ちなみにこれは東横線。
自分は男ですが、この女性専用車両についてはまあ少し思うところがあります。個人的な感想としては… まずこれって逆差別だなと感じる。
みなとみらいのある映画館には、特定の曜日に女性のみ料金が割引になる「Women’s Wednesday」というサーヴィスがあります。これは完全に逆差別です。
ほんと見るたびに私は不快になるんですが、なんでなくならないのでしょうか? 別の曜日に男性のみ割り引きになるのがあるなら納得できますが。
基本的に「どちらかが得をする」という種類の性差による差別化って、自分はあまり好きじゃないです。
もちろん電車の例で言えば、この措置のおかげで安心できる利用者もいるだろうし、これを求めている人がいることは分かります。
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。これで私が一番頭に来ているのは、このデザインです。
ピンクと花。これを女性の象徴として扱っている。これには怒りたい。激しく怒りたい。
なにを根拠に「ピンク→女、花→女」とするのか。これは本気で納得がいかないので、東急電鉄にはちょっと意見を送ろうと思います。
こんなことをするから赤系や花が好きな男の子がひやかされるんだよ。
納得いきません。こういう安直な固定概念には断固抗議する。
いらいらします。
だからこの写真でも眺めてにやけて花火大会にでも行ってきます。(*´ー`)
横浜、大黒海づり公園へ。
クローバーが満開でスーもはしゃいでおりました。クローバーの花畑で遊ぶスーはかっこいいです。
満面の笑みのスー。やっぱり土にふれるのがいいんだねー。
今日は買い物があったので、横浜・みなとみらいにあるワールドポーターズへ。
途中お茶したのですが、そのワールドポーターズ内の某喫茶店で働いている女の子が気になってしょうがなかった。その”気になる”というのは、「へぇーすごいな…」という、ある種の感動。
年はたぶん私と同じか(23です)、年下だと思うんですが。
たしかにかわいいのだけど、飛びぬけて外見がかわいいとか美しいというわけではなく。ごくふつうの小柄なかわいい女の子。
自分はカウンター席で、彼女はカウンターの向こうでひとりで働いている。
いくつかの種類のコーヒーを飲ませてくれる喫茶で注文を受けてから、豆を挽き、銅製のコーヒーポットで淹れてくれる。
湯でカップを温め、ペーパーフィルタに挽いた豆をいれ、ゆっくり淹れる。ケーキ用の皿を取り、熱いコーヒーとともに席へ持ってくる。注文を受けたのが終わると、グラスやカップを洗う。
その働いている姿が本当に、絵になっていて、美しかった。もうそれだけで小説の中のシーンのようだった。それを見ていてすごく感動したし、彼女にとても親しみを覚えた。
その働いている(注文を聞き、カップを出し、コーヒーを淹れる、etc…)姿を見ているだけで、幸せな気持ちになることができた。
この、眺めているだけで幸せになれる、そういう人は少ない。これにはあまり性差は関係なく、男でも女でも自分はときどき街中でそういう人に気づく。(ほんとにときどきですが)
ほんとに不思議なんだけど、そういう人っているんですよね。あの空気はなんなんだろう。たぶん、努力して身につく・身につけるものではなく、生まれながらのものなんでしょうね。自分もそうだったらいいなとは思うのだけど、どうだろう。
とにかく、ほんとにあたたかい気持ちになることができた。誰かに会って、それだけで幸せな気持ちになることができるというのは結構、生きていく中で大事なんじゃないか、と思うのです。
それにしてもおいしいコーヒーを淹れる女性って素敵です。
みなとみらい、馬車道側から。このへんは私の遊び場。
ランドマークプラザ。
ここのところ横浜はすっきりと晴れることなく、気温も低め。けっこう天気が体への影響に大きな意味を持つのでなかなかあなどれない。そのせいかどうも疲れが体に残る今日この頃。
プラス、最近は奇妙な夢も見るようになった。
単純な悪夢というのではなく(まぁ、気持ちのいいものではないけど)妙に生々しく、重く、どろどろしている。
言うならば、夢が僕に対してなにかを訴えている。
そこには確かにメッセイジが息づいていて、血が通い、オーヴァーペースのハートビートが聴こえる。
僕は目を凝らし、耳を研ぎ澄ませ、ゆっくりと慎重に手を伸ばすのだけど、その姿、そしてその奥にあるであろうメッセイジを読み取ることはできない。
目を覚ますと、重い見えない鎖が幾重にも巻きつけられたように疲労感が全身の肌をべったりと這っている。
で、これは初めて経験することじゃない。以前にも経験した感覚で。
そう、執筆モードに入っているとき。自分を極限まで追い詰め、隠された光を見つけ出そうとしている。
光はないように思える。
でも僕はこう考える。
「光が見つからないのは、光がないからではなく、僕が光を見つけていないだけなのだ。」
僕はそこにあるべき光を追い求めている。どんなに真っ暗闇でも、それは自分の目を閉じているからだけかもしれない。