おにゅうのガスコンロ

おにゅうのガスコンロ
ガスコンロが壊れたので新調しました。
壊れたのはグリル内部。上部のセラミック板が陥没したような感じ。「ボンッ」という音がたびたび鳴るようになって様子を見ながら焼いていると仕舞いにはガスが出たまま火が消えるというかなりデンジャラスな状態に。こりゃあかんわということで新しいコンロを品定めするまで網で魚を焼く日々。
それで発見したのですが、網焼きの魚、すごくおいしいです。グリルと違って油が落ちると煙が出ます。その煙に燻されてとても風味豊かな焼き魚に。バーベキューのおいしさです。こう体験するとやはり一番おいしい焼き方は七輪で炭火焼きなんでしょうね。

使っていたガスコンロは99年の6月に買ったものなのでちょうど10年使ったことになります。我が家は朝食は必ず和食、つまり焼き魚をいただくのでこの10年間のグリル使用頻度は毎朝食(365×10)、週2,3回の夕食(365×2.5/7×10)とごく大ざっぱに計算して約5000回。9月に壊れたということは5000回を超えた付近? 耐久度としてはこんなものなのでしょうかね。驚いたことにグリル内部のステンレス板は焼け落ちて穴がぼこぼこと空いてました。事故になる前に新調できて良かったです。

最近のガスコンロのトレンドはとにかく「水なしグリル・両面焼き」タイプ。そしてコンロのほうは噴きこぼれを受ける「汁受け皿のないフラット天板」タイプ。
今までのグリルは「水あり・片面焼き」タイプでしたので、正直これどうなのよ、という状態。評判を簡単に検索してみると、両面焼きはかねがね良い評判のものの、網の焦げ付き・こびりつきに関してはぶっちぎりのデメリットのようです。
この「両面水なしタイプ」は主流になるだろうと感じたので購入したのはこの方式。加えて天板もフラットタイプ。掃除はしやすくなるでしょうね。これから使ってみてまたなにかあったらレヴューします。

購入したのはRN-PR028-BHR、ヨドバシカメラのオンラインストアにて。店頭では10%還元だったのでウェブの方がお得。送料もちろん無料。50cmのガスホースとセットで購入。(ガスホースは7年を目安に交換推奨だそうです。今回10年ぶりに交換しましたが、ずいぶんと固くなっていました。)

今回の購入に関していくつか思うことがあるのですが大方文句なので箇条書きにて。(笑)

■ガスコンロに限らず世の中の製品全般に言えることだが、「注意書き」や「これはできない」「これはしないで」というものはパンフレットに事前に明記すべき。買ってから入手できる取扱説明書で「実はできません」は非常に不親切。無理ならモデルごとの取扱説明書(Notカタログ)はウェブに公開すべき。このあたりは家電メーカーのサイトを見習ってほしい。

■ガスコンロの販売体系がいまいちよく分からない。購入時は「東京ガス」としか書いていないのに買ってみると製造元には「リンナイ」。でもリンナイ自身でもガスコンロは出している。OEMなんだろうけどなぜわざわざ複雑にするのか。ちなみに今回購入したモデルは東京ガスのサイトにもリンナイのサイトにも載っていないという、かっこよく言えば「裏モデル」。

■ガスコンロを作っている人たちは本当に単一モデルを家庭で年単位で使用しているのか小一時間問いたい。問い詰めたい。前面が斜めにせり出しているデザインが流行っているが、使用しているうちに油をかぶってべとべとになるのが目に見えている。ガスコンロの前面は直角にするべき。

■部品点数が増えればそれだけ故障のリスクが増えるのだから、ギミックはいらない。(ボタン部がせり出すとか、グリルの窓が跳ね上がるとか。)

■ガスコンロ自体が高額なのはしょうがないとして、保証期間が短い。一年って。パソコンじゃないんだから最低3年はメーカーとして覚悟するべきでは? 家庭における使用で5年以内に壊れるガスコンロなんてあるとしたら欠陥品ではないかと思う。

■東京ガスのサイトは内部リンクが切れまくり。(こういうページの「ガス器具に関するサポート情報」のリンクが軒並み切れている。)大企業のサイトがこんなので大丈夫なのか。ちゃんとエラー解析してるのかしら。あと「過去の製品」へのリンクも見あたらない。ないとしたらなぜないの?

なんとなーくですが、ガスコンロという業界の狭さからくるものか、家電メーカーなどと比べると全体的に「ぬるい」と感じた品定め期間でした。対IHをあからさまに出して、現時点での導入コストなどを利点に挙げるような優越感を抱いているとあっという間にあぶなくなりそうな。(家電メーカーの低コスト化努力をなめていたらあっという間に追い抜かれる。当初Blu-rayは高い高いと余裕もっていたHD DVD陣営のように。現時点でのコスト差はないものとして考えておいた方がいい。)

個人的に反IH・反オール電化なのであえて注文をつけました。ほんとこのままだと10年後はかなりまずいんじゃなかろうか。ヨドバシカメラで実機を見ましたが、ガスコンロコーナーの扱いは寂しいものでしたよ…。これ以上フロアの端っこはないだろうというくらいの端っこ(店員さんに「ガスコンロってあります?」と聞かないと分からなかった)。10年後、ガスコンロはお店で選べるのでしょうか?><

  • Posted at 18:02 on Sep 15, 2009
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臓器提供意思表示カードのデザインが変わってた

いつの間にか変わってました
いつの間にか変わってました。左のカードは6年間、ずっと財布に入れて持ち歩いていたのでさすがにぼろぼろに。

しかもカード周りが充実してる
しかもカード周りが充実してます。パンフレットと、カードと同じように意思表示できるシール(運転免許証や保険証などに貼ることができるようです)、そしてカードが2枚。
なんで2枚? と思ったのですがパンフの説明では「1枚は自分のために 1枚は大切な人へ渡しておきましょう」とのこと。
これって他人が持っていても本人の署名があれば本人の意志と認められるということでしょうか?
これらがプラの袋に入ってワンセット。ずいぶん変わりましたねえ。以前のカードの時はカードのみが置いてあっただけなのに。
今回もセブンイレブンでもらいました。レジ周辺に見あたらなかったので店員さんに聞くとバイトの子はなんのことか分からなかった様子ですが、店長さんが倉庫から持ってきてくれました。「私ももらっとこ」とか言ってたのでこの機にレジ周りに置くかな?

なんで今回新しくしようかと思ったかというと、考えが変わってきたからです。
6年前に署名したときには、「自分が脳死になったんならもう自分では分からないんだし、好きに使ってくれ」みたいなどちらかというと「その時にはぜひ提供したい」というよりは「どうでもいいよ」的な投げやりともとれる気持ちもあったような気がします。もちろん被提供者にとっては提供者の動機はなんでもいいと思いますが。
思い出してみれば22歳。ああ、あの頃はそんな感じだったなぁと少し懐かしかったです。

そんな気持ちで持ち続けていたのですが、最近新たに考えて、遺される家族の心情も考えておく必要があるなと思いました。
平時には本人の意志と賛同してくれていても、いざその時になったら同じように納得できるかと。脳死というのは不思議なもので、見た目は生きてるように見えるそうです。特に家族にとってみればなかなか「死」とは受け入れられないかもしれない。
結局その時にならなければ分からない問題ですが、ひとつ確かなのは遺される家族にとって「その時」というのは「臓器を提供するかしないか」など考えたくない時間になるだろう、ということです。
それなら少しでも家族の精神的負担を少なくするために、今回は「提供しない」ことにしました。

ちなみに、再考するきっかけになった2ちゃんねるスレッド紹介ブログの記事。

親「脳死は人の死じゃないわ!その証拠にこの子の体はまだ動いてる」 – ギャルゲーブログ

最初のブログコメントの

この問題は、きっと一人ひとり違う答えが出る問題だと思います。ただもしもの時の為に早めに決めて置くことをお勧めします。私は、提供しません。決断を迫られる家族の苦労を知ったから。。。。知らない誰かの命も大事ですが、自分の家族の苦しみを和らげたいと私はおもったのです。

どちらも正しい答えだと思います。ただ早めに考えて、家族に伝えてあげてください、家族のために。

これを読んでがつん!ときましたね。あぁそうか、そういうことも考えなくちゃいけないんだ、俺の考えはその意味では無責任だったかもなぁ、と。

この臓器提供意思表示カードを持ったことがない方は知らないかもしれませんが、「提供しない」意思表示もすることができます。また、「脳死判定後」ではなく、「心臓が停止した死後」に提供する意思表示も選ぶことができます。
もしかしたらまたいつか考えに変化が起きて書き直すときがくるかもしれません。その時にはまたコンビニにもらいに行こうと思います。

意思表示カードの記入欄(裏面)
意思表示カードの記入欄(裏面)

  • Posted at 07:19 on Aug 02, 2009
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iPhone近況

唯一壁紙が見られるシーン
壁紙が見られるのは、このロックを外すシーンのみなんですよね。iPod touchのときも思いましたが、これをダッシュボードの壁紙にもしたいのですよ。できればページごとに設定できるといい。
あと、ダッシュボードのアイコンは空白を任意に入れられるといいです。同ページ内では自動的に隙間は詰められるので。このあたりはデスクトップと同じ使い勝手にしたい。

お気に入りの壁紙
お気に入りの壁紙。うーん、美しい。
普段は最初のやつです。かわいい~ 下段右の石ころだけデフォルトで入っているもの。購入してしばらくはこれを使っていました。
壁紙にもうひとつ希望があるのは、Macと同じようにスライドを設定できるようにして欲しい。要するに、その時々でお気に入りの写真が入れ替わる、というもの。
ロックを外すたびにちょっとした「出会い」がある。いいですねえ。

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  • Posted at 04:51 on Jul 20, 2009
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100年に一度?

溜まった新聞の切り抜きをスキャニング。
最近の記事で良かったのを紹介。’09年4月23日付の日経新聞の「あすへの話題」、書き手は画家の安野光雅さん。

「100年に一度の不況」

誰が言い出したのか「今回の不況は百年に一度の不況だ」と盛んに言われている。こういった無責任な発言に私たちは非常に弱い。脅かされるだけで、その言い分の根拠がただせないが、百年と言わず、わずか六十年余りさかのぼっただけで、恐るべき敗戦の日がそこにあったではないか。

もし誰もが「百年に一度」を信じているとすれば、その後の日本人がすっかり平和ボケしてしまって、遠因はアメリカだとしても、今日のような不況への抵抗力を失ったのではないかとさえ思われる。

わたしは敗戦後の日本を忘れない。とにかく国土は一面の焼け野原だった。食料はもちろん、衣料もなかった。子どもたちはおなかをすかせ、頭にはシラミが巣くっていた。活気があるのは闇市だけで、希望はあったが、新円切り替えやインフレでお金はなかった。

あの時代と不況と言われている今の世の中をくらべてみるといい。不況だというのに、食料は巷に満ちあふれ、着飾った男女が町を闊歩し、六十年前は米軍の車だけだったのに、売れていないはずの車で道路は渋滞している。テレビは飽食の料理とお笑い番組のない日はない。

校庭に芋を植え、その蔓を食った世代の人間は、「百年に一度の不況」という言葉を疑う。人災を天災に見せかける口実ではないかと勘繰りたくなってくる。

実はつい先日、近所でガマガエルを見た。やはり季節は巡っている。田園は新緑で、わたしの旧友は芋や豆を作り、我が物顔に跳梁する猪や鹿と百年に一度の戦いの中にいる。陶淵明の「帰りなんいざ田園将に蕪れなんとす(※)」を連想する。

※「帰りなんいざ田園将(まさ)に蕪(あ)れなんとす」
陶淵明(とう えんめい)の有名な漢詩、「帰去来の辞」の冒頭部分の一節。
「さあ、もう故郷へ帰ろう/田園は荒れ果てようとしている」といった意。
分かりやすい解説はこちらをどうぞ。

あくまでも「100年に一度の不況」は世界的規模の不況(対象は1929年発の世界恐慌)であるのでしょうが(私の記憶では「100年(一世紀に一度か二度)」と言い出したのはFRBだと思います。)、それならば日本人はそれにならうのではなく、「私たち日本人にとっては、こんなのはまだましな方です、敗戦の日を思い出してください。あの日々に比べれば、私たちには食べ物もあるし、身を覆うものくらいはある。今苦しいのは世界どこも一緒です。こんなのはまだ地獄じゃない、希望をもって解決案を出し合おうじゃありませんか」と言えばいいのです。
こういうちょっとした気の持ちようで将来を見る目は変わると思うのですが、ちょっとしたことだからこそ難しいのでしょうかね。

次のも同じ安野さんの文章。’09年5月7日付の記事から。

「黒猫と人生」

絵を描いていて、うっかり墨を落とすなどの失敗をすることがある。そういうときはあわてないで、たとえばそこに黒い樹を一本描くとか、黒猫が横切る図を描くなどしてごまかすことができる。

ところが、一日くらいおくと、その黒猫に目がいく。目をやるまいと思う。この場所が墨を落とした箇所だと知っているのは自分だけなんだし、そこに黒猫を描いていけない理由もない。まあ第三者にはわからないだろうと納得する。

また一日ぐらいすると、どうもその黒猫が気になる。また数日たって、絵はだんだんと進行し、だいぶんできあがった感じになってくる。それでも黒猫に目がいく。気にしていないようで気にしているな、と自問自答する。そのころには黒猫にしたことを後悔しはじめているのだ。

油絵なら、削り取ればいい。しかし失敗したという自分の記憶は消せない。どうすればいいかという話になるが、表面糊塗(こと)しないほうがよかったと思いはじめ、結局絵は失敗の道をたどる。

絵ができあがると篆刻(てんこく)印を押すことがあるが、一見簡単そうなことでも、逆さに押したりずれたりすることがある。上気しているのである。堂々と描いた絵が篆刻のために水の泡となるかと見える。中国の名画の中にもそんな失敗があるので、「そんなときはどうするのか」と、かの国の篆刻家に聞いたら、押した瞬間が「一期一会だ」と言う。「失敗もまた経過の一こまなのだ」という意味にとれた。失敗は絶対にゆるさない、となると生きていけない。

許す。それはつまるところ人生なのだ。多くのものごとがそうであるように、絵の中もまた人生なのである。

私が思うに、失敗とは奇跡の一つだと思います。思いもよらない結果なのだから。多くの場合、「やりたかったことができなかった」から「失敗」という判断になるのですが、それが「いや待てよ、これはこれでいいではないか」と「奇跡」という価値をそれに与えられるかというところなんだと思います。これはもちろん、産業での機能面ではそうも言っていられないですが、人間関係の中ではこういう見方というのは大事なのではないか、と思います。自分自身で「これも人生」と割り切るのは今の時代難しいので、周りの人が言ってあげるのが大切なのではないでしょうか。

「これなに? 墨落としちゃったの? へえ、おもしろいねえ、まるで黒猫が飛び跳ねてるみたいだ」と。
私自身、人にはそう言えますが、自分にはなかなか言えません。「完璧主義ねえ」とよく言われます。(笑)

Google、元のデザインに戻る

先日、Googleのページデザインリニューアルに関連した記事を書きましたが、今日27日に元のページデザインに戻りました。(なんか余計な宣伝文が代わりに出たような気もしますが…)
Stylishを有効にされている方は、次のデザインが決まるまで無効にして構わないと思います。

元のデザインに戻る

公式アナウンスはこちら。
ホームページのデザインについて – Google Japan Blog

ホームページのリニューアル後、たくさんのユーザーの方からフィードバックを頂きました。
Google では、ユーザーからのフィードバックもサービスの開発、改良のため、重要な情報として参考にしています。

本日より、一旦デザインを以前のホームページに戻すことにしました。
改めて日本のユーザーにあったホームページのデザインを検討し、改良を加えていくためです。
(中略)
今後も一部のユーザーを対象にし、色々なデザインを試験的に採用させて頂くことで、より多くの日本のユーザーに使って頂けるようなホームページの制作に向けて、開発を進めていきたいと思います。

もしかしたら私と同じような意見も相当数いったのでしょうかね。

もうフルカスタマイズ形式でいいと思うんです。iPhoneやiPod touchのホーム画面のように、自分の使うツールアイコンを足したり引いたりできる。お望みならば、検索以外すべてなくすこともできる。フッターに「すべてのGoogleツールはこちら」とリンクがあれば、あとはユーザに任せる。潔くてとても好印象です。

次世代GoogleはブラウザにおけるFirefoxやSleipnir、Operaのように、ある程度「分かってる人」が使うツールでいいと思うのです。PC/ウェブリテラシーの特別高くない人(言い換えれば現在の世の中の大多数の人)を相手にしたらGoogleに勝ち目はないと思います。

なぜならそのようなユーザは検索エンジンにしてもブラウザにしても「乗り換える」という発想がありません。90年代よりポータルサイトを運営しているいわば重鎮を相手に、この点でシェア争いしても有益な数字は得られないと思います。彼らは複数のサーヴィスを数珠つなぎにして、乗り換えられにくい体系を作り上げています。
加えて、これがとても重要だと思うのですが、リテラシー(ある対象についての能力・知識とでも言いましょうか)は経験や教育で高くすることはできても、一度リテラシーを得た人は今より低くすること、忘れること、我慢することはできないからです。

例えで言えば、「解凍ってなんですか?」という(いわゆる揶揄表現でいうところの)教えて君に「こうです、Lhasaでも使いなさい」と言えば、彼はもう2度と「解凍とは」と悩まなくなるわけです。放っておいても新しいPCにはLhasaを入れるようになる。下手したら自分で調べることも覚えてLhaPlusとか7-Zipとか入れるようになるかもしれない。でもそれがリテラシーの向上というものです。

「上がった人をすくい取り、逃さない」。そういうサーヴィススタンスにGoogleが突き進んだら、もはや敵なしと言っていいんじゃないでしょうか。
ディジタル世代の成熟とともにユーザが増えることはあっても、減ることはありません。

関連記事:
Googleの「急上昇ワード」を非表示にする Feb. 6, 2009

  • Posted at 21:56 on Mar 27, 2009
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