二十代も後半戦に突入しました。より自分にシヴィアに当たっていく所存。
いい意味でもうちょっと攻撃的になろうかと思ってます。「考える前に飛べっ!」みたいな。
さてそんな中、こんな言葉を見つけました。「そうだよな」と共感する部分があったので紹介。
雑誌 “FUDGE” でコラム “Life never ever like before” を連載されている高木正勝さんの言葉。
「アーティスト」
アーティストとは、受けとるべきものを、持てる感性で受け取り、持てる技術でそれを形に変え、他人に伝達できる人間。才能とは、受けとるべき何かがやって来た時、それを感じ、つかまえる事が出来る精神的、肉体的な体力。(中略)
いわゆる芸術家だけが、アーティストだとは 思っていない。目には見えない、耳には聞こえない、その受け取るべき何かを感じて人に伝える事が出来たなら、(中略)絵画や音楽のような芸術でなくても、それは美しいに違いない。
「個性」
「個性的であろう」とする事は、重要な事ではない。個性は生きていれば自然に生まれる。生まれも育ちも、見聞きした事、感じた事も、そして望むものも違う筈。ただ、過去に感じて来た感情にきちんと向き合うか向き合わないかで、個性は大きく変化する。魅力的な個性にもなれば、疎ましい個性にもなる。
ふむ、その通り。だと私も思います。
アーティストとは結局、「自分が受け取るべきなにか」をちゃんと感じ、それを自分というフィルタを通して外の世界にいわば再出荷できる人間、私はそう思っています。
そう考えると、別に何か作品を創っている人間だけがアーティストなのではなく、誰でもアーティストになりうるのではないかと。
つまり「アーティスト」というのはなにを生み出しているかとか、どんな才能を持っているかとか、まして技術などではなく、「生き方」ではないかと。
ただその「生き方」を選ぶなら(ときに選ばざるを得ない)、そこには日々自分の感性を磨き上げ、ときには守ることが必要になる。そして人によって感性の幅があるのも事実。
これを読んで、以前に当ブログでも触れた、銅版画家・長谷川潔さんの言葉を思い出しました。
さて、と。折り返したことだし後半戦、そろそろ行きますか!!