にらばな

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「ハナニラ」と呼ぶことのほうが多いようですが、うちではずっと「ニラバナ」と呼んでいます。
毎年この時期になると咲いてくれる常連さん。私自身子どもの頃から見ているので馴染み深いです。
ニラバナのこの繊細な色の移ろいが好き。

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ルーローの三角形みたいなすごくきれいな形です。
花びらの枚数と位置、雄しべの数と位置、中心の雌しべ。究極な美です。

地元の公園では桜が咲きました。来週半ばに花見を予定しているのでもってほしい…。

きみとぼくの“ライン”。

最近のmixiに関する記事について。
mixiとは会員制のオンライン・コミュニティ。(SNS、ソーシャル・ネットワーキング・サーヴィス)

「mixi読み逃げ」ってダメなの? – ITmedia

これが実際にどれほど広まっているのか分からないけれど(幸い私のマイミクさんには足跡を気にする人はいない…と思う)、増えてきたのは事実なのでしょう。
mixiサーフ中に記事に出てくる地雷バトンには出くわしたことがあるし、はじめましてのあいさつを書くよう強要している人もたしかにいる。

この記事を読んで私が最初に思ったのは、「なにをそんなに恐れているのか?」
たしかにコメントがつけばうれしい。ボケをかましてコメントが0だとそれはそれで悲しいかもしれない(笑)。
だけどそれは “あなたが” つまらないのではなく、“ネタが” つまらないか、もしくは “とくにコメントすることがない” からであって。
だいたいその人の日記が最新日記一覧に表示されて、それをクリックして読む(=相手に足跡がつく)、それが関心ある証拠。本当に読む気がないのならクリックしない。読まない。
上の記事にリンクされている「mixi疲れ」にも言えることだけど、なにをそこまで… とつい思ってしまいます。

ただたしかなのは、彼らはそれを確実に気にしている、ということ。確実に「読み逃げはいやだ」と思っている、感じている事実。
だからここで「そんなに気にしなくていいんじゃない?」と言っても無意味でただ両者のあいだの溝が深まるだけかもしれない。

どうしたらいいんだろう?

ひとつ言えるのは、気にしない側が無理に気にする人にあわせて行動する必要はない、ということ。
それをしたらストレスになり、mixiは義務になってしまう。(=「mixi疲れ」)

話しあう場やチャンスがもしあれば「自分はこうなんだよ。気にしなくていいよ。いつも読んでるよ。」と説明できるかもしれないけど。
いろんな感性を持った人がいて、ある事象に対して感じる・感じない・その他いろいろがあるのが多様性。それが受け入れられればこういうストレスは生じないと思うのですが。
まぁその「自分にないものを相手に認める」というのが難しいのかもしれない。自分にない価値観を相手が持っている、それを理解できずとも尊重する心。

オンライン・コミュニケイションに限らず、人間関係で大切なのは「理解する」ことではなく、「認める」こと。
理解できないことなんてたくさんある。なんでそんなふうに思うの? なんてことは日常茶飯事。
そこで大事なのは、自分がどうであれ相手は「そう思っている(そう感じている)」ことを認めることです。信じられないようなことであっても。それを否定していたらいつまで経っても親しい関係は築けない。

「分かってほしい」とよく言うけれど、その「分かる」というのはロジック(論理)として理解してほしいというより、自分の思いをそうなんだと認めてほしい、受け入れてほしい、そういう潜在願望であることが多いのではないでしょうか。

ちなみに私は足跡を基本的には踏み返しません。
それはネットでの考え方をそのままmixiにトレースしているから。本来、ネットではアクセス解析をしない限り誰が来たかは分からない。私はそれでいいと思っています。
見たい人が見たいときに見ればいいし、久しぶりにのぞいてみようかな、と思ったときに相変わらずやっている。ichijoも変わんないなぁ、と思ってもらえればいいという方針でずっとやってます(笑)。
(アクセス解析に関しては、サイト作成・運営上、把握しておきたい情報もあるので(OS・ブラウザ・モニタ解像度等)Google Analyticsを利用しています。)
だからmixiの足跡も見ますが、見ていないのと同じくらいに気にしていません。だから踏み返さない。
メッセージが来て初めて、「はじめまして、こんにちは。」
コメントもしたいエントリーにだけ。されたからしかえす、というのはないです。

あと最初に書いた「地雷バトン」に関しては不快以外のなにものでもないですね。あれは嘘つきでは?

なににしろ、もっと自分にされたいと思うことをよく深く静かに考えて、それを相手にするようにする。そこから人への「強要」は出てこないのではと思います。それがこの時代には必要なんじゃないでしょうか。
それにはイマジネイション(想像力)、そして鋭敏に感じ取る正直な心が大事。
John Lennonが “Imagine(想像しなさい)” と高らかに叫んだのはまさに時代の的を射ていると思います。

mixiを利用するときにユーザに求められるのは、毅然とした態度なんでしょうね。
マイミク申請を断るのも場合によっては必要かもしれないし、マイミクを外す必要性も出るかもしれない。
相手に流されないのと同時に、相手を(自分の思いどおりに)流そうとしないことも必要だなと。

相手の価値観を認める(理解なんてできなくていい)。
必要なときには必要なだけの毅然な態度を。
考えてみればどれもオン・オフ関係なく、私たちのつながり、ラインには大切なことだと私は思います。

  • Posted at 21:52 on Mar 24, 2007
  • | (Closed)

つぶやき。

・初回ロットはやはり外すべきなのか?
興味深い記事です。
初回ロットを買ってはいけない(前編) – ITmedia + D

なるほどねぇ。
ということで黒のMacBookはLeopardが乗ったあと、しばらく待とうかなと。でもその頃にはまた買う気が失せている予感…。

タイの猫まみれトイレ
タイの猫は小顔さんでかわいいにゃー。

・今朝、夢にリア・ディゾンが出てきた。
こういう夢を見ると一日の始まりは幸せである。我ながら単純である。
ちなみに大きなレストランで同席した夢。お互いに自己紹介して彼女に「ファンです。」と言ったところで目が覚めた。

・いつのまにかGemmaが日本進出。
以前から「好きだ」と公言しているモデルのGemma Ward
日本の雑誌に出たりCMに起用されたり。
だけど日本の仕事が増えたということはイコール、スーパーモデル界での仕事が減ったということで複雑。あの世界ではモデルの旬は1~2年だからなぁ。(彼女のピークは2004年)

  • Posted at 20:57 on Mar 24, 2007
  • | (Closed)

Rose Knot

いつだったか自分で作った(考案というのかな?)タイの結び方。
今日ふと、名前つけたほうがいいだろうと思い立ち、そのまま”Rose Knot”と命名。結び目がバラのように重なっているから。

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最初は無地のタイのときに地味にならないためにこの結び方をしていましたが、柄物でも案外いけます。

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全体で見るとこんな感じ。思えば最近はタイを締めるときは “Rose Knot” が多いな。

せっかくなので結び方を書こうと思ったんですが、極度に難しいです。タイの結び方を文章で説明するのはこの世でもっとも難しいことのひとつだと思う。絵を描くにも一枚目で断念したので写真で。

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つまりはウィンザー・ノットの裏側なんです。この結び目。
ウィンザー・ノットを裏返しに結ぶ感覚でやるのです。

ポイントと注意点は、

  • 普通は小剣側を軸にして大剣を巻いて結ぶが、”Rose Knot”は逆。大剣側を軸に小剣で巻く。
  • 大剣側は太いので事前にディンプル(結び目のくぼみ)を作ってその状態で結ぶ。
  • ほどくときは注意。そのまま抜こうとするとタイを傷めます。大剣側なので抜けません。小剣を少しずつ緩めながら引き抜く感じで。

ちょっと練習すればきれいに結べるようになります。ぜひ試してみてください。

雪柳

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今年も雪柳が咲きました。
うちのは垂れるほどには花がつきませんが、このくらいの量だと花のひとつひとつをじっくり見れます。

サイトのほうで公開してる「草原に降る雪」が2004年らしいので、3年前には3月に雪が降ったということのようです。
今年は果たして降るんでしょうか。