花葬
2日前、飼っていた十姉妹の最後の一羽が永眠。
これだけは、何度経験しても慣れない。
死というのは、「その何かが死ぬ」のではなくて、「自分の中の何かが死ぬ」んだと思う。この身に空く喪失感はいつになってもけっこうきつい。
庭中の花で包んであげた。
2 Responses
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yuko says:
オハナキレイ…
私も年末に学生時代からのお友達を亡くしてしまいました。
1年くらい入院してたから、「やっぱりな」って思ったの。
彼女から着信があって、少し元気になったのかな? って思って
取ったら「優子ちゃんですか? Kです」ってだんなさんが出たとき。
覚悟があったからって悲しみが小さいわけないよね。納骨前におうちに行ったの。
行く前にお花屋さんに行ったら、仏花?って言うのがあるのね、ちゃんと。
でもなんかアレンジメントがダサいからカワイイやつにしたよ。亡くなる半年ほど前の写真が日付入りのフレームに飾ってあって、
健康なら知らない間に できていく 思い出を「残すために」に作って
いた、外に出られるときに、だましだまし体調を見ながら、っていうのが
すごく、ズキズキした。最近街に溢れるDEAN&DELU●Aのトートバッグについて、
どう思うか、というしょうもない議論を彼女としていただろうな、
生きてたら もういないんだ けど。・・・っと思ったときが、最近のズキズキ。
一周忌はあの私の大嫌いな墓石磨きに行くのでしょうね。
長くなりました。では!
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ichijo.nori says:
>> yukoちゃん
覚悟なんてできっこないよね。
僕らは普段、死を意識なんてなかなかしていないけれど、
常に生と死は混在してるんだね、僕らの体の中にひっそりと。そのズキズキが、いつかyukoちゃんを
優しく包みこみますように。きれいにしてきてあげてね。
庭の花は、今日は春の雨に濡れているよ。