最近のmixiに関する記事について。
mixiとは会員制のオンライン・コミュニティ。(SNS、ソーシャル・ネットワーキング・サーヴィス)
「mixi読み逃げ」ってダメなの? – ITmedia
これが実際にどれほど広まっているのか分からないけれど(幸い私のマイミクさんには足跡を気にする人はいない…と思う)、増えてきたのは事実なのでしょう。
mixiサーフ中に記事に出てくる地雷バトンには出くわしたことがあるし、はじめましてのあいさつを書くよう強要している人もたしかにいる。
この記事を読んで私が最初に思ったのは、「なにをそんなに恐れているのか?」
たしかにコメントがつけばうれしい。ボケをかましてコメントが0だとそれはそれで悲しいかもしれない(笑)。
だけどそれは “あなたが” つまらないのではなく、“ネタが” つまらないか、もしくは “とくにコメントすることがない” からであって。
だいたいその人の日記が最新日記一覧に表示されて、それをクリックして読む(=相手に足跡がつく)、それが関心ある証拠。本当に読む気がないのならクリックしない。読まない。
上の記事にリンクされている「mixi疲れ」にも言えることだけど、なにをそこまで… とつい思ってしまいます。
ただたしかなのは、彼らはそれを確実に気にしている、ということ。確実に「読み逃げはいやだ」と思っている、感じている事実。
だからここで「そんなに気にしなくていいんじゃない?」と言っても無意味でただ両者のあいだの溝が深まるだけかもしれない。
どうしたらいいんだろう?
ひとつ言えるのは、気にしない側が無理に気にする人にあわせて行動する必要はない、ということ。
それをしたらストレスになり、mixiは義務になってしまう。(=「mixi疲れ」)
話しあう場やチャンスがもしあれば「自分はこうなんだよ。気にしなくていいよ。いつも読んでるよ。」と説明できるかもしれないけど。
いろんな感性を持った人がいて、ある事象に対して感じる・感じない・その他いろいろがあるのが多様性。それが受け入れられればこういうストレスは生じないと思うのですが。
まぁその「自分にないものを相手に認める」というのが難しいのかもしれない。自分にない価値観を相手が持っている、それを理解できずとも尊重する心。
オンライン・コミュニケイションに限らず、人間関係で大切なのは「理解する」ことではなく、「認める」こと。
理解できないことなんてたくさんある。なんでそんなふうに思うの? なんてことは日常茶飯事。
そこで大事なのは、自分がどうであれ相手は「そう思っている(そう感じている)」ことを認めることです。信じられないようなことであっても。それを否定していたらいつまで経っても親しい関係は築けない。
「分かってほしい」とよく言うけれど、その「分かる」というのはロジック(論理)として理解してほしいというより、自分の思いをそうなんだと認めてほしい、受け入れてほしい、そういう潜在願望であることが多いのではないでしょうか。
ちなみに私は足跡を基本的には踏み返しません。
それはネットでの考え方をそのままmixiにトレースしているから。本来、ネットではアクセス解析をしない限り誰が来たかは分からない。私はそれでいいと思っています。
見たい人が見たいときに見ればいいし、久しぶりにのぞいてみようかな、と思ったときに相変わらずやっている。ichijoも変わんないなぁ、と思ってもらえればいいという方針でずっとやってます(笑)。
(アクセス解析に関しては、サイト作成・運営上、把握しておきたい情報もあるので(OS・ブラウザ・モニタ解像度等)Google Analyticsを利用しています。)
だからmixiの足跡も見ますが、見ていないのと同じくらいに気にしていません。だから踏み返さない。
メッセージが来て初めて、「はじめまして、こんにちは。」
コメントもしたいエントリーにだけ。されたからしかえす、というのはないです。
あと最初に書いた「地雷バトン」に関しては不快以外のなにものでもないですね。あれは嘘つきでは?
なににしろ、もっと自分にされたいと思うことをよく深く静かに考えて、それを相手にするようにする。そこから人への「強要」は出てこないのではと思います。それがこの時代には必要なんじゃないでしょうか。
それにはイマジネイション(想像力)、そして鋭敏に感じ取る正直な心が大事。
John Lennonが “Imagine(想像しなさい)” と高らかに叫んだのはまさに時代の的を射ていると思います。
mixiを利用するときにユーザに求められるのは、毅然とした態度なんでしょうね。
マイミク申請を断るのも場合によっては必要かもしれないし、マイミクを外す必要性も出るかもしれない。
相手に流されないのと同時に、相手を(自分の思いどおりに)流そうとしないことも必要だなと。
相手の価値観を認める(理解なんてできなくていい)。
必要なときには必要なだけの毅然な態度を。
考えてみればどれもオン・オフ関係なく、私たちのつながり、ラインには大切なことだと私は思います。