銅版画家 長谷川潔展

横浜美術館で明日(3/26)まで開かれている、長谷川潔展に行ってきました。

若くして渡仏し(死ぬまでフランスに居を定めていたよう)、日本より海外で絶大な評価を得た銅版画家。
フランス国内を旅しつつ作品を創り、銅版画の新たな世界を切り開いたアーティストです。ちなみに横浜市出身。

作品を見るとき、どうしても創った時期(何歳のときの作品か)が気になってしまいました。「ああ、俺と同じ24歳でこれを描いたのか…」とか。
比べる必要はないのですが、どうしても自分と重ねてしまいます。そして、年齢を追うごとの作風の変化も興味深かった。

彼の作品は、今回初めて見たのですが、異国の地に身を定めてはいても、その創りだす世界には、いわゆる「和」がしっかりと息づいていて、その研ぎ澄まされた華美に驚きました。そして彼の作品にはユーモアもある。

彼の遺した言葉を紹介します。

地球上の目に見える世界をとおさないと、
見えない世界にはいっていくことはできない。
しかし、見える世界のほうがはるかに小さい。
これを私は静物画に描く。

―『白昼に神を視る』より

アーティストって分野は違えど、本質の部分では同じなんだなぁ、と驚いた次第。なんか励まされます。

それにしても美術館に行くたび、無性に絵が描きたくなります。結構感化されやすいので…。こういう刺激って大好き。
自分もパリに行こうかなぁ。夢は果てしなく。

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  • Posted at 22:58 on Mar 25, 2006
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奇妙な夢

ここのところ横浜はすっきりと晴れることなく、気温も低め。けっこう天気が体への影響に大きな意味を持つのでなかなかあなどれない。そのせいかどうも疲れが体に残る今日この頃。

プラス、最近は奇妙な夢も見るようになった。
単純な悪夢というのではなく(まぁ、気持ちのいいものではないけど)妙に生々しく、重く、どろどろしている。
言うならば、夢が僕に対してなにかを訴えている。
そこには確かにメッセイジが息づいていて、血が通い、オーヴァーペースのハートビートが聴こえる。

僕は目を凝らし、耳を研ぎ澄ませ、ゆっくりと慎重に手を伸ばすのだけど、その姿、そしてその奥にあるであろうメッセイジを読み取ることはできない。
目を覚ますと、重い見えない鎖が幾重にも巻きつけられたように疲労感が全身の肌をべったりと這っている。

で、これは初めて経験することじゃない。以前にも経験した感覚で。
そう、執筆モードに入っているとき。自分を極限まで追い詰め、隠された光を見つけ出そうとしている。
光はないように思える。

でも僕はこう考える。

「光が見つからないのは、光がないからではなく、僕が光を見つけていないだけなのだ。」

僕はそこにあるべき光を追い求めている。どんなに真っ暗闇でも、それは自分の目を閉じているからだけかもしれない。

  • Posted at 21:14 on May 14, 2005
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