樹影

夕闇の百日紅

濃紺に その身渡す 百日紅(さるすべり)
縮み凍みるは 枝か我が手か

うーん、歌って難しいねえ。こういう冬の歌にあえて別の季語をもってくるのは伝統的にはどうなんでしょうね。「百日紅」自体は夏か秋の季語っぽいですが。

これも百日紅。枝に残っているのが実。
この時期、夕焼けがとてもきれいなので、ひさしぶりに公園に撮りに出かけました。

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焦り度→20焦

→19→20→21→
新成人のみなさん、おめでとう。

なにか書こうかと思ったのですが、私自身「死ぬまで18」と言っている身なので(笑)うまく言えないんですね。
かわりに最近書いた詩を載せておきます。

「日々」

にわか雨の においのような
夏の午前の 陽射しのような

絵に描くほどに鮮やかでない 淡い虹のような
記憶の残り香に触れる 秋の午睡のような

風にふるえる 露草のような
絶え間なくうつろう 水面(みなも)のような

手をのばすほどに遠さを知る 星々のような
いつまでも目にこびりつく 光の軌跡のような

醒めない夢を 見つづけているような
いつかどこかで 見た景色のような

焦るな、と言われても焦っちゃうよねえ。自分の経験から言うと、そういうときははっきり言って焦るしかないです。
今書いていて気づきましたが、「焦る(あせる)」って「焦げる(こげる)」と同じ漢字なんですね。分かるなあ。僕なんて灰になりかけてますよ。焦げるくらい全然どうってことないです。心ゆくまで焦げてください。

20焦? ふふん、まだまだ!

自画像

久しぶりにセルフポートレイト
久しぶりにセルフポートレイト。
自分の顔は見たくないので、できるだけ目を合わせないように作業(神経遣うんだ、これが)。

自分では「自分らしい」と思うんですが、人の目にはどう映るんだろう。「まんまじゃねーか」とか言われても逆に困りますが(笑)。
ポートレイトは裸にされる分、写真の中でも怖い分野です。その人の壁(エヴァンゲリオンでいうところの「A.T.フィールド」)を壊すのではなく、レンズを通してすり抜けられる写真家が優れた写真家のなのでしょうか。どうなんでしょう。いつか撮られてみたいような、撮られたくないような。。。

  • Posted at 19:20 on Dec 02, 2008
  • | (Closed)

みんなのうたの「数え歌」がすごい

NHKラジオ第2で流れるみんなのうた
今日かかったのは池田綾子さんの「数え歌」。これがすごくいい!

YouTube | 数え歌@池田綾子

朝からじ~んとしてしまった。これはいいですよ。いい歌です。さっそくCDも購入~。
ほんとにいろんな国の数えかたで歌ってみたい。何番までできるかな?

池田綾子「数え歌」
池田綾子「数え歌」

HMV
TOWER RECORDS

消化の意味

日経新聞、10/23付夕刊の記事「あすへの話題」の文章がとても良かったので紹介。
タイトルは「消化の意味」、執筆者は分子生物学者・福岡伸一さん。

私の研究対象は膵臓(すいぞう)である。
さて膵臓は何をしている臓器でしょう? 理系学生でもしばし言葉につまる。インシュリンを作るとの答えがせいぜいだ。
しかし、膵臓の細胞のうちインシュリン合成を担っているのはほんの数パーセントであり、残りのすべての細胞はあるタンパク質の大量生産に従事している。その生産量たるや泌乳期の女性の乳腺よりも多い。
答えは消化酵素の生産、である。膵臓が日々、黙々と消化酵素を作ってくれているおかげで、きちんと消化が行われ、栄養素の吸収がなされる。

そこで私はおもむろに次の質問に移る。消化は何のために行われるのでしょうか?

小さくしないと吸収しにくいから? 現象面だけを見るとこの答えでも間違いではない。が、消化のほんとうの意味は別にある。
情報を解体するため、消化は行われる。例えばタンパク質。タンパク質はアミノ酸の連結による高分子で、アミノ酸は個々のアルファベット、タンパク質はそれによって書かれた文章にあたる。そして全ての生物は、固有の文法と文体に従って構成された文章からなる一大物語といえる。

食物とは、それが動物性のものであれ、植物性のものであれ、もともと生物体の一部であったものだ。そこには持ち主固有の情報が満載されている。
この情報がいきなり、私の身体の内部にやってくると、私の身体特有の情報系と衝突、干渉、混乱が生じる。これを回避するため、消化酵素は、物語と文章を解体し、意味を持たない音素のレベルに還元する。そのアルファベットを吸収して、私たちは自分特有の物語を再構築する。
実にこれが生きているということなのである。

普段、人の文章に心を打たれることってあまりないんだけど、これは感動した。素晴らしい文章。
中学校の国語の教科書とかに載せてもいいと思う。というか僕が中学時代に読みたかったな。