5月2日

5月2日。
1998年5月2日に亡くなられたhideさんの命日。

自分は彼の死で、彼を知りました。大々的に報道された、彼の葬儀。

1998年春に高校を辞め、精神的にどん底に落ちていた時期でした。(そのときは病気だとは疑いもせず、なにもできない自分を責め続けていた。)

そんな折、異様な光景がテレビに映っていた。
「この人はなんなんだ…?」

そして彼の歌を聴くようになりました。

伝えたいことは、伝えられないくらいあって。
だけど彼はもういなくて。

あれから8年。
もう8年。
まだ8年?

hideさん、ほんとにいろんなことがあったんだよ。
ちょっと聞いてくれよ。

hide -Wikipedia
MISERY

  • Posted at 23:29 on May 02, 2006
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鎌倉・稲村ヶ崎

鎌倉から江ノ電に乗って稲村ヶ崎へ。稲村ヶ崎は母が住んでいた地なので今でもときどき行きます。好きな街です。

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稲村の海岸より江ノ島を。空気が澄んでいれば、江ノ島の右側に富士山が大きくはっきりと見えます。

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  • Posted at 08:49 on Apr 19, 2006
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今日買った本

読みきれていないのに本は増えていきます。今日買った本(雑誌)を。

「FUDGE(ファッジ)」
これは女子向けファッション雑誌。最近は女子向けファッション雑誌コーナーでも平気で立ち読みしてます。(笑)
このFUDGEという雑誌は初めて見たのですがこれがなかなかいいです。テイストがかなり自分好み。
どんなものかというと、白を基調に落ち着いたカラーでまとめられています。ナチュラル&スロウ、というんでしょうか。これはちょっとこれからもチェックしたいと思う雑誌でした。この前はためしにJJを買ったけどその正反対のような感じです。

ぜひぜひ本屋さんで見てみてください! 自分はこういうのが大好きなのです。センスの良さに男も女もありません。
FUDGE5月号、580円です。

「しあわせのねだん」 角田光代
こちらは先日紹介した、「対岸の彼女」の角田さんのエッセイ。
日々の生活の中のいろんなものの値段をめぐるエッセイですが立ち読みして思わず笑ってしまったほどおもしろそうなのでピックアップ。

「ビル・ゲイツの面接試験 -富士山をどう動かしますか?-」 ウィリアム・パウンドストーン
マイクロソフトの面接試験、こういう系の本を以前から読みたいと思っていたのですが今日出会えたのでゲット。
自分の思考力がまったくついていけないレヴェルの話を吹っかけられると自分は妙に興奮します。よだれが出そう。
「…は? どういうこと?」っていう感覚が大大大好きです。こういうのは自分から首を突っ込まないとなかなか出会えません。

「富士山をどう動かしますか?」

「スヌーピーたちの心の相談室 1.楽天家になる法」 チャールズ・M・シュルツ
ピーナッツ、自分は持っていないのですが、以前、NHKの「クローズアップ現代」に取り上げられて以来、読みたいと思っていました。
これは原作からテーマに沿ってピックアップしたもののようですがそれでもピーナッツの魅力に触れられるだろう、と購入。
ピーナッツって人生の核心をふっと見せてくれますよね。曇ったガラス窓をさっと拭いて世界の真実の姿を見せてくれる、そんな感覚です。

どれも読むのが楽しみ。

  • Posted at 22:37 on Apr 14, 2006
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「傷つかなくなることについて」

昨日はひきずることについて書きましたが、そのあとふとんの中で読んでいた、「これだけは、村上さんに言っておこう」(村上春樹)にこんなことが書かれていました。まさにぴったりなもので自分でもびっくり。

この本は、読者からのメールに春樹さん本人が返事を書く、という形式なのですが、春樹さんの返事の部分を紹介します。(P.96、質問140)

そのエッセイでは僕も偉そうなことを書きましたが、このトシになってもやはり人は傷つくものです。嫌なことつらいことはけっこうあります。そういうときには僕にはひとつのチェック・ポイントがあります。それは、
 <自分はこのことによって、誰か第三者を傷つけただろうか?>
ということです。もし自分しか傷ついていないのなら、それはラッキーだったんだと考えるようにします。というのは、自分のことなら自分でなんとか処理できるけれど、他人がからんだことはそんなに簡単には処理できないからです。
そういう風に考えていくと(あるいは考えようと努力していると)、少しずつ強くなっていけます。人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。

ちょっとこれを読んだときは言葉が出ませんでしたね。そうだ… そうだよな、と。
ちなみに、「そのエッセイ」というのは、「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」という本に収録されている、「傷つかなくなることについて」というエッセイです。

それを改めて読んでみたらびっくりでした。以前読んだのがいつだったか思い出せないけれど、前よりずっと心に響きました。そちらからも少し抜粋して紹介します。

この文章を読んでいる若い方の中には、いま同じような辛い思いをなさっておられる方もいらっしゃるかもしれない。こんなことで自分は、これからの人生を乗り越えていけるのだろうかと悩んでおられるかもしれない。でも大丈夫、それほど悩むことはない。歳をとれば、人間というものは一般的に、そんなにずたずたとは傷つかないようになるものなのだ。(中略)
今では誰にどんなひどいことを言われても、友だちだと思っていた人に裏切られても、信頼して貸した金が戻ってこなくても、ある朝開いた新聞に「村上はノミの糞ほども才能がない」と書いてあっても(ありえないことではない)、そんなに傷つかない。もちろんマゾヒストじゃないからいい気持ちはしない。でもそれで深く落ち込んだり、何日もくよくよ思い悩んだりはしない。「しゃあない、そういうものなんだ」と思って、そのまま忘れてしまう。若いころにはそんなことはできなかった。忘れようと思っても簡単には忘れられなかった。(中略)
でも僕はそのときつくづく思った。精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの“傾向”であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の“権利”でもあるのだと。

だいたい自分でも気づいているのですが、(こういう面での鋭さはいいのか悪いのか…)やはり今まで誰かをがっかりさせたり、その気はまったくなくとも傷つけたことってかなりあると思います。
こればかりは本当に申し訳ないとしかいいようがありません。ごめんなさい。
もちろん言い分はあるし、誤解とかもあると思うのだけど、あえて弁解はしないです。

それに比べれば自分だけの問題というのは(問題の深刻さという意味では)単純なものですね。
春樹さんの言うように、
「たとえ傷ついても頭にきても、それをするりと飲み込んでキュウリみたいに涼しい顔をしているように心がけ」たいものです。

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村上春樹 「『これだけは、村上さんに言っておこう』と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?」

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村上春樹 「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」