村上春樹、オコナー賞受賞!

おめでとうございます! (記事はこちら
いやぁ本当に素晴らしい。うれしいなぁ。

「長編が森を作る作業だとすれば、短編は庭仕事。」

うまいですね。たしかに短編は楽しさもあるし実験的なこともいろいろしやすいですね。
でもまずは自分も深い森を作らねば。そして森に呑みこまれないように。

均衡を取ろうとする自分と、それを眺めてしまう自分

高校の恩師、佐野先生のブログで語られた「デリケート・バランス」。
まさに… そこなんですよね、自分の位置も。

紹介します。

デリケート・バランス(上)
デリケート・バランス(中)
デリケート・バランス(下)

「生きること」と「食べていくこと」。

先生の言葉が強烈に響いたので引用させていただきます。

(芸術家にとって)「生きること」と「創ること」は一致しているのであって、そこに「食べること」への意識が介入する余地は無い。私の「AとBとのバランス」など、芸術家にとっては「生ぬるい戯言」だと思い知らされた。(中略)
あれから40年…私は今なお「デリケート・バランス」に生きている。忸怩たる思いもあるが、これもまた「自分の人生」だと思えないこともない。しかし、残された人生の時間を全て演劇創造に充てることで、あの21歳だった自分、打ちのめされていた自分に応えて上げたい気持ちもある。

正直、自分は打ちのめされ続けている気がする…。
手を抜いてるわけじゃない、全力で対峙しているつもりだけど、まだまだなのかな。まだまだなんだろうな。ゆっくり考えたい、時間がほしい、と思うのは甘えなのかなぁ。
先生の

「流されそうな川の真ん中に杭を打ち込み、それに一時しがみつきたい」が本音だった。立ち止まる時間が欲しかったのである。

という言葉、痛いほどよく分かります。

これはしばらくまたこもって考えます。
この前「考える前に飛べ」と書いたけれど、やっぱり考えてしまう。我ながらもどかしいというか苛立つというか。

アーティストとは

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二十代も後半戦に突入しました。より自分にシヴィアに当たっていく所存。
いい意味でもうちょっと攻撃的になろうかと思ってます。「考える前に飛べっ!」みたいな。

さてそんな中、こんな言葉を見つけました。「そうだよな」と共感する部分があったので紹介。
雑誌 “FUDGE” でコラム “Life never ever like before” を連載されている高木正勝さんの言葉。

「アーティスト」
アーティストとは、受けとるべきものを、持てる感性で受け取り、持てる技術でそれを形に変え、他人に伝達できる人間。才能とは、受けとるべき何かがやって来た時、それを感じ、つかまえる事が出来る精神的、肉体的な体力。(中略)
いわゆる芸術家だけが、アーティストだとは 思っていない。目には見えない、耳には聞こえない、その受け取るべき何かを感じて人に伝える事が出来たなら、(中略)絵画や音楽のような芸術でなくても、それは美しいに違いない。

「個性」
「個性的であろう」とする事は、重要な事ではない。個性は生きていれば自然に生まれる。生まれも育ちも、見聞きした事、感じた事も、そして望むものも違う筈。ただ、過去に感じて来た感情にきちんと向き合うか向き合わないかで、個性は大きく変化する。魅力的な個性にもなれば、疎ましい個性にもなる。

ふむ、その通り。だと私も思います。
アーティストとは結局、「自分が受け取るべきなにか」をちゃんと感じ、それを自分というフィルタを通して外の世界にいわば再出荷できる人間、私はそう思っています。
そう考えると、別に何か作品を創っている人間だけがアーティストなのではなく、誰でもアーティストになりうるのではないかと。
つまり「アーティスト」というのはなにを生み出しているかとか、どんな才能を持っているかとか、まして技術などではなく、「生き方」ではないかと。
ただその「生き方」を選ぶなら(ときに選ばざるを得ない)、そこには日々自分の感性を磨き上げ、ときには守ることが必要になる。そして人によって感性の幅があるのも事実。

これを読んで、以前に当ブログでも触れた、銅版画家・長谷川潔さんの言葉を思い出しました。

さて、と。折り返したことだし後半戦、そろそろ行きますか!!

銅版画家 長谷川潔展

横浜美術館で明日(3/26)まで開かれている、長谷川潔展に行ってきました。

若くして渡仏し(死ぬまでフランスに居を定めていたよう)、日本より海外で絶大な評価を得た銅版画家。
フランス国内を旅しつつ作品を創り、銅版画の新たな世界を切り開いたアーティストです。ちなみに横浜市出身。

作品を見るとき、どうしても創った時期(何歳のときの作品か)が気になってしまいました。「ああ、俺と同じ24歳でこれを描いたのか…」とか。
比べる必要はないのですが、どうしても自分と重ねてしまいます。そして、年齢を追うごとの作風の変化も興味深かった。

彼の作品は、今回初めて見たのですが、異国の地に身を定めてはいても、その創りだす世界には、いわゆる「和」がしっかりと息づいていて、その研ぎ澄まされた華美に驚きました。そして彼の作品にはユーモアもある。

彼の遺した言葉を紹介します。

地球上の目に見える世界をとおさないと、
見えない世界にはいっていくことはできない。
しかし、見える世界のほうがはるかに小さい。
これを私は静物画に描く。

―『白昼に神を視る』より

アーティストって分野は違えど、本質の部分では同じなんだなぁ、と驚いた次第。なんか励まされます。

それにしても美術館に行くたび、無性に絵が描きたくなります。結構感化されやすいので…。こういう刺激って大好き。
自分もパリに行こうかなぁ。夢は果てしなく。

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  • Posted at 22:58 on Mar 25, 2006
  • | (Closed)

最近の意味が分からなかった言葉たち

先日公表してしまった、最近の意味が分からない言葉たち。調べてみました。
できるだけ簡単に説明します。

1: ポッドキャスティング
これは後述の「RSS」と関連の深い用語のようですが、一言で言えば、音声データの配信システム、でしょうか。
ブログはテクスト(文章)や、写真などを中心としたデータの配信、と言うことができます。
それに対し、ポッドキャスティングはインターネットでの音楽やラジオ番組配信などを指すようです。
この「ポッドキャスティング」という名称は、アップルの “iPod” と「放送」という意味の “Broadcasting” からの造語とのことです。でも、これはiPodに限ったことではなく、音声データ配信全体を指すようです。

参照:
「ポッドキャスティング」 – Wikipedia

2: RSS
これは予想とだいたい合っていましたが、簡単に言えば、ブログの更新情報を自動的にまとめて得ることのできるシステム、です。
その情報を得るには、「RSSリーダー」というソフトを使います。このソフトには、ブラウザに組み込むものと、単体のアプリケイションソフトとして使うものの2種類があるようです。
私はさっそく、gooが出している、「goo RSSリーダー」を使い始めてみました。指定したブログが更新されれば、自動的にお知らせしてくれるそうです。

参照:
goo RSSリーダー」 – goo

3: web拍手
これは目からuroko。
これはWeb拍手のボタンを押すとそれが「押された回数」として管理人が知ることができる、というもの。そして一言メッセージなども送ることができる。
掲示板や、ブログのコメントのように「誰が送ったか(書いたか)」というのは求められないので、誰でも気軽に「おもしろい!」とか「がんばってください!」とメッセージを送ることができる。
これは面白そうですね。こちらに簡単に解説されているので、興味ある方はどうぞ。

参照:
Web拍手公式サイト

4: SNS
これは “Social Networking Services” の略で、出会いの場を提供するサーヴィスのこと。「出会い系」というと不健全な(性的接触を目的とした)出会いが主流ですが、このSNSが指す「出会い系」はそうではない模様。「友だちの友だち」と知り合う機会になったりする。同じ趣味の人、仕事仲間を探すこともできる。
よく聞く、mixi(ミクシィ)などがSNSというものなんですね。

参照:
「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」 – 通信用語の基礎知識

5: プロキシ
調べてみましたがよく分かりませんでした。(´・ω・`)
要するに、会社の中などでインターネットに接続できないコンピュータと、インターネットとのあいだに位置するコンピュータのこと、ということのようです。インターネットに接続できないコンピュータの代わりに、インターネットに接続するコンピュータのこと。またそのような働きをするソフトウェアのこと。で、そうすると発信元のIPアドレスを隠すこともできる、と。

参照:
「プロキシ」 – Yahoo!コンピュータ 用語辞典
「Proxyサーバ」 – はてなダイアリー

6: IT
これは “Information Technology”(情報技術) の略。コンピュータやデータ通信を用いた技術の総称。

参照:
「IT」 – Yahoo!コンピュータ 用語辞典
「IT」 – 通信用語の基礎知識

7: 「おざなり」と「なおざり」の違い
手前の広辞苑を引いてみました。やはり似通った意味ですが、違いを分かりやすくすると。

「おざなり(御座なり)」とは、“その場をとりあえずいい加減に済ます”ことであり、
「なおざり(等閑)」とは、“あまり注意を払わない、いい加減にするさま”を指す。

遣い方としては、
「急に出かけることになったので、やりかけの掃除をおざなりに済ます。」
「あの人はけっこう何事もなおざりなんです。」
となるのかな。

「おざなり」は特定の事柄に対して遣い、
「なおざり」は特定の事柄というよりは、全体的なニュアンスで遣う、という感じでしょうか。

どうでしょうか。伝わったでしょうか。「それはちょっと違うよ」というのがあったら教えてください。うーん、勉強になった。(´ー` )