偶然とはなにか?
偶然とはなにか?
僕だったらこう説明します。
偶然とはなにか?
僕だったらこう説明します。
暑いですねー。夏ばてしてないでしょうか。
私は一年のうち10ヶ月くらいは夏でいいと思ってるくらいなので元気です。
これが7月初のエントリーというのもブロガーとしてどうかと思う事態ですが、心配をかけるのも問題なので珍しく(?)日記らしい日記を。
7月の7日から2週間ほどパソコンの総換装をしていました。現在は新しいPCがバリバリ稼動しています。
まだケースの外装を作ってないので(そう、今回はPCを組むだけではなくケースも自作しているので時間がかかったのです。。。)中身がむき出しの状態ですが、暑いからちょうどいいかもしれません。完成したらまたブログで紹介しようかなと思ってます。
そんなわけでメインのPCがお休み中、MacBookが大活躍でした。
落ち着き次第またのんびりと更新していきます。
そうそう、無事に27歳になりました。「平成20年7月20日で27歳」って数字的に美しいですね。好きな数字は7と2です。いい一年になりますように!
先日、5月23日の夕方に今年初めて「夏だ! 夏の匂いがする!」と感じました。
具体的になんの匂いだろう? と思ったら、蚊取り線香。もう庭には蚊がいっぱいいるので焚いたんですね。それが今年初。
季節をひしひしと感じるのは、人によってそれは旬の食材だったり、風の肌触りだったり、なにかの行事だったりするのだと思いますが、ふと考えてみると自分は匂いであると気づきました。
思い返してみればそう。春を感じるのは(「春だ!」と強く自覚する瞬間)、紛れもない夜の沈丁花の香り。ちょうどコートを着ずに夕暮れ後外へ出てみた瞬間に沈丁花の花の香りが街に薄く染み渡っている…。それが僕にとっての春の訪れ。今年もありました。
夏が今回気づいたように蚊取り線香の香り。真夏の香り(自分的にサイコー!な季節)は陽炎の匂い。ちなみに雨が降り出したときのむっとするような土埃の匂いがたまらなく好きです。なんかね、いいんですね。
梅雨はこれも毎年同じなんですが、梔子(くちなし)の甘い香り。雨に濡れると早く終わってしまうんですけどね、梔子の花。横浜もそろそろかな?
冬は雪が降りそうな寒い朝の匂い。あれも独特です。「冬だー」と思う。
秋がなんだったかなぁ、と思い返してみると金木犀の匂いでした。
僕は夏が一番好きで、一年のうち10ヶ月くらいは夏でいいと思ってるくらいなんですが、ほかの季節は上で書いたような匂いを感じれば満足、という節があります。
たとえば夏の後半に咲き始める百日紅を見ると「マジかよ…」とヘコんで、いわし雲見て金木犀の匂い嗅いだら、「もう秋いい、冬来て」という感じ。
冬は雪の匂い嗅いだらもう満足、春はまだかよ、みたいな(笑)。
春は沈丁花の夜を感じて、桜に思いを馳せて、花びらを撮ったら、「よーし準備オーケー、夏カモーン!」状態。(まさに今!)
いろんな人の「夏キタ!」な瞬間を集めたらおもしろいかも。蝉の鳴き声とかもいいですね、夕立とか。夏っぽい。
2日前、飼っていた十姉妹の最後の一羽が永眠。
これだけは、何度経験しても慣れない。
死というのは、「その何かが死ぬ」のではなくて、「自分の中の何かが死ぬ」んだと思う。この身に空く喪失感はいつになってもけっこうきつい。
庭中の花で包んであげた。
石井裕教授の定期コラムでテレビを取り上げておられたのですがかなり共感できたので紹介。
石井裕の“デジタルの感触” 第28回 テレビの未来 – ASCII.jp
最後のページの
最近デジタルテレビを商品開発している企業の方々とMITで議論する機会があった。彼らが最もショックを受けたのは、私を含め、そこに集まった MITの教授/学生の約40%は自宅にテレビを持っていなかったという事実だった。
「テレビがない家庭があるなんて理解できない。この文明社会に生きている人間ならば、何故テレビを見ないのですか」と、彼らに真顔で問いただされてしまった。しかたなく、私は「未来へようこそ」と答えて、ほほ笑んだ。
うまい! いいですねぇ、石井さん。今度からそれ使わせてもらいます。
テレビがこの世から消える日が待ち遠しい。ほんとに。テレビだけは駄目なんです。
でも現実としてそう遠くないうちに、子どもに「テレビってなに?」と聞かれる時代がくるでしょうね。10年後はずっと減ってるんじゃない?
TV? TerribleVisionの略だよ。