花の肖像

名前が分からないけれど、とても美しい
名前が分からないけれど、とても美しい。調べたのですが分かりませんでした。母も初めて見たそうです。名前をご存じの方教えてください!

asty さんに教えていただきました! 「イベリス」とのことです。
ありがとうございます??>< 気になってた花なのですっきりしました!

イベリス – Bing 画像

4月16日、一ヶ月以上前のものになりますが、新しいカメラ・E-5の練習がてら散歩の道中撮った写真をば。

ぽんぽんと花火のように咲いてます
こんな風にぽんぽんと花火のように咲いてます。

萌えー
萌える。

紅葉
紅葉(もみじ)。紅葉って不思議ですね、緑色から赤へ紅葉(こうよう)するタイプと、最初から紅葉した赤い葉が芽吹いてだんだん緑色になっていく真逆のタイプがあります。うーん、不思議です。
これは最初から紅葉した紅葉(もみじ)です。あぁ表記がややこしい(笑)。
一ヶ月経った今ではもう真っ青ですよ。もしかして種類が違うのではなく、時期(気温)によって自在に変化するんでしょうか。紅葉すれば緑葉もする…のかな。

緋色
緋色。

翠色の紅葉
こちらはたぶん最初から翠色の紅葉。

花の肖像:山吹
花の肖像:山吹。
山吹には一重のものと八重のものがあるんですね。(cf. Wikipedia
去年元町で一重のものを撮りました。

桜2010、元町の花々 – April 4th, 2010

春紫苑
春紫苑。

花の肖像:春紫苑
花の肖像:春紫苑。

タイミング的にはちょうどカメラを買い換えた頃、この4月でしょうか。自分でも「あ、花の撮り方が変わってきたな」と思いました。でもそうは言ってもどこがどう違うのか、またなぜ変わったのかは分からない。ただ、なんか以前と違うな、と。

今回この記事の写真を事前に何枚かフォトログにも掲載したのですが、そこで「花の肖像」という言葉がぽっと生まれて「あ、それだ」と気づきました。

「僕は、花の肖像が撮りたいんだ」、と。

そういう方向性みたいのが表れてきたのかな、とちょっと思いました。どうなんでしょうね。

真の繊細さは大胆さを包含している
真の繊細さは大胆さを包含している。
このように生きたいですが、人間にはなかなかにハードルが高いですな。そんなことを春紫苑を見て思った次第。萌えー。

東北関東大震災について [UPDATE #12]

【UPDATE #12: 03:01, March 26, 2011】

SoftBankの携帯電話をお使いの方は、ポイントが貯まっているかと思います。それを「100ポイント=100円」単位で義援金として寄付できます。

携帯マイレージポイントを義援金に ソフトバンクモバイル – 架空の妹があらわれた!
マイレージポイントで寄付:東北地方太平洋沖地震 – ソフトバンクモバイル

ポイントが幾らあるか分からない場合は、My SoftBankにログインすると表示されます。
My SoftBankでポイント残高を確認
もちろん寄付画面でもログインすれば確認できます。(名前がただの「さん」になっているのは表示名を登録していないからです。)
そもそもこのポイントは案内によると「貯まったポイントは機種変更やオプション品との交換・割引などにご利用いただけます。」だそうですが、遣う予定は一切ないのでいい遣い方ができ良かったです。寄付先は「特定非営利活動法人 ジャパン・プラットフォーム」とのこと。

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  • Posted at 00:38 on Mar 13, 2011
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僕が Amazon.co.jp を使わなくなった理由。

“脱アマゾン”を目指して
“脱アマゾン”を目指して。

Amazon.co.jp。今や泣く子も黙る総合ショッピングサイト。「ネット書店」として日本でも2000年11月1日にサーヴィス開始してから早10年が経ち、その取扱商品たるやデパートもびっくりです。

Amazon.co.jp: Amazon.co.jp 10年の軌跡[amazon.co.jp]

私も開始当初より利用しているのでアマゾンで累計どれくらい購入したか分かりません。アカウントを変えていないので遡れば明らかになるはずですが、ちょっと怖くて知りたくないですね。^^;
控えめに言っても「ヘヴィユーザ」の域を出ないのは確かでしょう。それぐらいよく使っていました。

そんな私ですが、去年あたりから大きな買い物(例えば数万円するようなもの)はできるだけアマゾン以外で買うことにしました。
それから日が経ち、今年の半ばからはほとんどをアマゾン以外のサイトで買うようにし、アマゾンで予約していた商品はキャンセルという処置を繰り返し、今ではアマゾンで注文しているものはありません。

なぜか?

ご存じの方もおられるかもしれませんが、私たちが普段購入している「アマゾン」、つまり Amazon.com の日本法人、アマゾンジャパンは日本に税金を払っていません。正確に言えば、「法人税」を払っていません。(消費税は払っているはずです。)
知らない方はこれを聞いて「そんな馬鹿な」と思われることでしょう。でも本当です。少なくとも2010年10月11日現在においては。

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続・「自己」に寄り添うことが「らしさ」を再創造する

「自己」に寄り添うことが「らしさ」を再創造する の続き。
紹介した新聞のコラムの続きが掲載されていたので引き続いて。今回は主に男女関係について取り上げられていました。

日経新聞2010年7月13日「草食系男子へのまなざし」
日経新聞2010年7月13日「草食系男子へのまなざし」

「草食系男子のマインドの根本にあるのは、徹底した対等感覚である。」というのは草食かどうかは知りませんが確かにその通りですね。
誤解を恐れずに言ってしまえば、僕にとっては男女の違いなんてありません。基本的に「人」としか見ていない。だから逆に、「性差」をそのまま表に出したシステムには激怒に近い不快感を覚えます。女性専用車両とか映画館の女性優遇料金制度、飲食店の女性と記した少量メニューなどです。同じ仕組みが男性にも用意されていればいいだけの話なのですけどね。メニューなんて「女」など関係なしに「少量・ミニ・ライト」などと表現すればよい。

それぞれ個々人のセクシャリティはあくまでもセクシャリティに過ぎず、生活の中での付き合いに男女の差はない、というのがこの「徹底した対等感覚」の示すところでしょうか。
# まぁ実際の生活の中では異性の既婚者とは距離を置く、などの気は遣いますが。自分達だけの問題じゃないしね。

尤も、こういう考え方を「快く思わない」というのもよく分かります。当然そうだろうと思っているところで「は?」みたいな反応を示されたらそりゃ頭に来るでしょうね(苦笑)。
結局のところ、「人」である前に「男/女」であるか、「男/女」である前に「人」であるか、の違いに思えます。もちろん価値観の問題として。

プラトンの「饗宴」に出てくる、アリストパネスの話に人間の起源の物語があります。(Wikipedia
もともと人は今で言う2人で1人だった、というものです。頭が二つあり、腕が4本あり、といった。そして性は3種類あった。「男男」と「男女」と「女女」の3種類。でもある時神さまが怒って彼らを半分にしてしまった。その結果、人の性は2種類、「男」と「女」になったというものです。それで人は別れてしまった自分の片割れを探し求めて生きている、というお話。この話は村上春樹さんの「海辺のカフカ」にもちょっと出てきます。
たぶんこれで言えば僕は古代の「男女」に近い形なのでしょう。一連の記事の“草食系”と呼ばれる人々もおそらく自分自身にも相手に対しても「男」か「女」かなんて意識することは少ないのではないでしょうか。セクシャリティはあるけどそれはそれ、普段は関係ないっしょ、というような。

「新時代の恋愛のスタイル」、きっと「恋慕」より「共鳴」というものがキーになるのではないでしょうかね。
それに恋愛なんてしようと思ってすることじゃないですしね。なるようにしかならないんじゃないですか。(棒読み
でもひとつだけ思うのだけど、そんなに恋したいですか? たぶん逆に「なぜそんなに興味ないのか?」と思われるのだろうけど。「恋したい/したくない」ではないのです。「どうでもいい」のです。たとえで言えば173日後に雨が降って欲しいか?という問いに近い。どっちでもええがな!(笑)

「自己」に寄り添うことが「らしさ」を再創造する

この一年ほどでしょうか、「草食系男子」という言葉を目にするようになりました。個人的経験則として「~男子」「~女子」という造語にろくなものはないので調べもせず「ヴェジタリアンが流行ってるのか?まぁロハスとかも流行ってるしね」と思っていたのですがどうやら違うらしい。
先日読んだ雑誌、「Courrie Japon」8月号にこんな説明がありました。

オオタニ・タクヤは、米国の名門ビジネス・スクールでMBAを取得することに憧れている。だが彼は、来年東京の大学を卒業したら、米国ではなく日本の大学院に進学するつもりだ。
「僕は草食系なんです」とオオタニは物憂げに言う。“草食系”とは、ストレスを避け、リスクを管理し、庭先の草を食んで満足しているような人を指す流行の表現だ。

Courrie Japon8月号「世界が見たNIPPON」
ハーバード入学者がたった1人に…留学を目指さなくなった若者たち(ワシントン・ポスト)

なるほど…と思っていたら母から「あなたのことを思い出した」と新聞の切り抜き。そのものずばり“草食系”について書かれていてなかなか良いコラムだったので掲載。(同じ経緯のCreative Classについてはこちら

題は、「『男らしさ』からの解放」。

日経新聞2010年7月6日「『男らしさ』からの解放」
日経新聞2010年7月6日「『男らしさ』からの解放」

あ、これ俺だわ。というか時代がやっと自分に追いついてきたんだ(笑)。

冗談はさておき、僕が思うにこういう人、今でこそ「草食系男子」などと表現される人は昔もいたと思うのです。料理が好きで、手芸が好きで、花が好きで、身の回りのことは自分で楽しみながらやり…といった。
でも時代の価値観とかタイミングによって埋もれていた。こうして雑誌や新聞に取り上げられることもなく、ひとつの生き方として紹介されることもなく、せいぜいが「女々しい」とか「男なのに」とか言われるのが関の山。現に僕も言われてきました。
でも僕にもし「才能」と呼ばれるものがあったとしたら、それは「自分の価値観を曲げない」ことでしょうね。誰に何と言われようと、冷やかされようと、女子に馬鹿にされようと、自分の価値観は偽らなかった。だから正直、「草食系?ハァ?今更何言ってんの?キャベツでも食ってろ」という感じなのですが(笑)、こういうのがそこそこ広く受け入れられるようになって、そういう価値観を持つ若者がイレギュラーな人種として嘲笑の的にならないならいいことだと思います。そんなつまらない人の評価で自己否定の思いをする事なんてないですからね。

そしてもっと深く考えてみると、この時代にこういうのが出てきたのは必然だとも思います。現代は「世界が狭くなった」と表現されるように自分の影響範囲(授受問わず)は拡散の一途を辿っているわけですが、そうすると重力と同じようによほど「自己」をしっかり保っていないと膨張の力に負けてバラバラになってしまいます。
「自分の居場所がない」というのも「居場所がない」というより「自分がいない」という感覚がより近いのではないでしょうか? 自分が何者なのか分からないんですよね。もしその先まで行ってしまったらもうアウト・オブ・コントロール。悲劇を覚悟しないといけないかもしれません。僕もその先へ行ってしまったことのある人間なのでそこがどういう世界なのか僕なりに分かります。
自己を自覚する代わりに周りの流れに乗れればそれでもいいのですが、それにしては今の流れは命をも奪いかねない激流。それに身を委ねよというのも「冗談は小説だけにしてくれ」と言いたくもなるでしょう。流れに乗れなかったら「負け」とか勝手に判定される時代ですしね。(そもそも勝負などした覚えはないぞ!)

こう考えると、人間の本能として自己に向かうのは当然の流れに思います。自分を引き裂こうとする力に文字通り必死に抵抗する圧力が自分の奥深くへかかっていく。そうなれば「自分らしさとはなにか?」という問いが生まれるのも当たり前。以前と違う点があるとすれば、今やこの問いは人生の「オプション」ではないこと。生死に関わる回答必須な問いであることです。

つまり、この時代になって自己主張する人が増えたのではなく、逆だと思います。
時代が「自己」を引き出させたんです。「お前は誰だ?」と。「お前らしさとは何か?」と。世界は常に問いかけ続ける。生き残るためには僕らは答えなくてはならない。「自分はこうだ」と。
「自己」に寄り添い、「らしさ」を再創造する。何のために?と言われれば「生きるために」なんですね。

要するに僕が言いたいのは、“草食系”などと言われても、僕らが向かおうとしているその先、目標への執念。自分と向き合い、対話し、見極めようとする姿勢。それらはある意味ではとても攻撃的だということです。
「穏やか」?「目の前の状況に満足」?ふん、寝言は寝て言ってくれよ、ベイビー。

静かなる闘い。
願わくば同士のそれぞれに、決して見捨てなかったその人だけの悟りがこの先の未来のどこかで待っていてくれますように。そしていつか本当の穏やかな朝を迎えられますように。グッドラック!
…まったく楽じゃないよな!!(と同意を求める

  • Posted at 02:54 on Jul 13, 2010
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